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[[1924年]]、宝塚少女歌劇団が宝塚大劇場設立に伴いレビュー形式を取り入れ、男装するようになった。出演者が男性に扮することは往々にしてあったことだが、当初は髪をひっつめて後ろにしばりあげただけであり、その上から大きめの帽子を着用したため、頭が大きく、バランスが悪いものだった。
 
東京松竹楽劇部(後の[[松竹歌劇団]])で[[1930年]]9月に上演された[[川口松太郎]]演出の松竹オンパレードの司会者役に扮した[[水の江瀧子]]が短く断髪したのが日本のレビュー史上初めての「男装の麗人」の登場、とされる<ref>松竹歌劇団(1978)p.150</ref>。しかし[[中山千夏]]によればこれは単に当時流行のボブカットにしただけで、男性様に短くして大きな反響を呼んだのは、翌1931年5月31日に出演した『先生様はお人好し』からである<ref>中山(1993)p.90</ref>。いずれにせよ水の江が嚆矢の存在だが、[[津阪オリエ津阪]]も同時期に断髪している。水の江・津阪の断髪は話題を呼び、「ターキー・ブーム(「ターキー」は水の江の愛称)」を巻き起こすきっかけとなった。宝塚では[[1932年]]8月上演の、[[ブーケ・ダムール]]で[[門田芦子]]がはじめて短髪にした。
 
その後、宝塚少女歌劇と松竹楽劇部(のち松竹少女歌劇)をはじめとした少女歌劇ブームが全国で起こり、男役のスタイルが確立されていった。つけまつげをつけ、髪にパーマをかけたのは宝塚では[[春日野八千代]]が最初である。