「ニューヨーク市地下鉄」の版間の差分
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== 歴史 ==
=== 前史 ===
ニューヨークで最初の「地下鉄」は、[[1869年]]に[[サイエンティフィック・アメリカン]]誌の編集者で発明家の[[アルフレッド・イーリー・ビーチ]]がデモンストレーション目的で建設した'''[[:en:Beach Pneumatic Transit]]'''である<ref name="NY-UC1">『ニューヨーク 地下都市の歴史』70-74頁</ref>。ビーチはそれを郵便物用の[[気送管]]と偽ってトンネルの許可を取得し<ref name="WSS6-1">『世界の地下鉄物語』163-164頁</ref><ref group="注">当時市政を牛耳っていた[[タマニー・ホール]]のボス[[ウィリアム・M・トウィード]]は乗合馬車や鉄道馬車の利権を持っており、その妨害を避けるためであった。</ref>[[1870年]][[2月28日]]に一般公開した。トンネルの延長はわずか312フィート(95メートル)<ref name="WSS6-2">『世界の地下鉄物語』165-167頁</ref>で、[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]が[[ニューヨーク市庁舎|市庁舎]]の真横を通る区間に建設された。車両は円筒形で送風機が生み出す空気圧で押し出す、あるいは吸い出すことで運転され、速力は時速6マイル(約9.7km/h)しかなかった<ref name="WSS6-2"></ref>。その後ビーチの地下鉄は[[1873年恐慌]]の影響を受けて[[1874年]]に運行を終了し<ref name="WSS6-3">『世界の地下鉄物語』169-173頁</ref>、[[1912年]]に[[BMTブロードウェイ線]][[シティ・ホール駅 (BMTブロードウェイ線)|シティ・ホール駅]]建設のため取り壊された<ref name="NY-UC1"></ref>。
ビーチの気送管式地下鉄が失敗に終わった一方、地下鉄開業以前のニューヨーク市では高架鉄道が発達した。最初の高架鉄道は[[1867年]]に技師のチャールズ・ハーヴェイによって[[グリニッジ・ストリート]]に建設された高架ケーブルカー('''ウェストサイド・アンド・ヨンカーズ・パテント鉄道'''、後の[[IRT9番街線]]<ref name=nycsubwayorg1>{{cite web|url=http://www.nycsubway.org/wiki/The_9th_Avenue_Elevated-Polo_Grounds_Shuttle|title=The 9th Avenue Elevated-Polo Grounds Shuttle|publisher=nycsubway.org|date=2012|accessdate=2016-01-10}}</ref>)で、[[1871年]]にはケーブル装置を廃して蒸気機関車による運行が始められた<ref name="WSS7-1">『世界の地下鉄物語』182頁</ref>。蒸気機関を使用した高架鉄道は騒音、振動、ばい煙をまき散らし、高架線が街路への採光を妨げるという問題があったものの、[[1878年]]に[[6番街 (マンハッタン)|6番街]]、[[1880年]]に[[2番街]]、[[3番街]]でも開業し、[[1890年]]には高架鉄道全体で年間1億8820万人<ref name="WSS7-2">『世界の地下鉄物語』194頁</ref>を輸送するようになっていた。
===地下鉄の開業===
[[ファイル:1906_IRT_map_south.png|200px|thumb|right|IRT路線図(1906年)]]
[[File:City Hall Subway station.jpg|thumb|1904年10月27日に最初に開業した駅の一つ[[:en:IRT Lexington Avenue Line|IRTレキシントン・アベニュー線]][[:en:City Hall (IRT Lexington Avenue Line)|シティホール駅]]]]
ニューヨークで最初の本格的な地下鉄は'''インターボロー・ラピッド・トランジット''' (
[[1914年]]の[[第一次世界大戦]]勃発とその後の軍需景気、さらに[[狂騒の20年代]]を通じて地下鉄の利用者は急激に増加した。しかし契約上運賃は5セント均一で固定されていたため、インフレが進行したことにより却って両社の経営は悪化し、特にBRTは[[マルボーン・ストリート鉄道事故|1918年の脱線事故]]で多額の賠償金を抱えたため、[[1919年]]に一度破産し[[1923年]]に'''ブルックリン・マンハッタン・トランジット''' (ブルックリン・マンハッタン交通会社、[[:en:Brooklyn–Manhattan Transit Corporation|Brooklyn-Manhattan Transit Corporation]]、BMT)として再スタートを切る事態となった。そこでニューヨーク市は自ら地下鉄運営に乗り出し、市直営の'''インデペンデント・サブウェイ・システム'''(独立地下鉄網、[[:en:Independent Subway System|Independent Subway System]]、IND)を[[1932年]]に開業させ、路線の更なる拡充を図った。
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