「台湾沖航空戦」の版間の差分

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実際の第3艦隊の物理的損害は、下記のように僅少なものに過ぎなかった。ただし、4日連続で攻撃を継続し、更にフィリピン空襲や防空戦闘も継続していたため、艦隊の将兵には疲労が蓄積しつつあり、第2群は群司令官がハルゼーに具申した窮状を認められ、空母[[バンカー・ヒル (空母)|バンカー・ヒル]]が後退した。これにより同群は同艦を欠いた状態でレイテ沖海戦に臨んだ。一方、第1群の[[ワスプ (CV-18)|ワスプ]]や第3群の[[レキシントン (CV-16)|レキシントン]]のように具申したものの後退が認められなかった例もあった。ハルゼーの脳裏には士気に及ぼす影響があった。
 
15日、志摩艦隊旗艦「那智」は重巡「足柄」、軽巡阿武隈及び駆逐艦7隻(第7駆逐隊《[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]》・ 第18駆逐隊《[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]》第21駆逐隊《若葉、初春、初霜》)を引き連れ[[瀬戸内海]]を出撃した。一方、アメリカ軍のハルゼー提督は暗号解読により日本艦隊(志摩艦隊)が出撃したと知ると、損傷巡洋艦2隻に空母を含む護衛部隊をつけ、偽装電報を発信して日本艦隊を誘因しようとした<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]59頁</ref>。しかし日本艦隊の動きが鈍い事を知ると、艦隊戦闘に向けての準備をやめ、レイテ上陸支援に専念するよう命じた<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]61頁</ref>。
 
16日、ハルゼーはニミッツに宛てて「ラジオ東京が撃沈と報じた第3艦隊の全艦艇は、いまや海底から蘇って、目下、敵方へ向けて退去中」という電文を発信した。カール・ソルバーグによればこれはアメリカ側では有名な報告だと言う。
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大本営海軍部は、誤った戦果報告を天皇に奏上し、御嘉尚の勅語まで発表された。国民は「アメリカ機動部隊せん滅」の大勝利に沸きかえった。しかし、海軍部は、16日に台湾沖で空母7隻を含むアメリカ機動部隊を索敵機が発見したとの報告を受け、極秘に戦果報告の再判定を行い、大戦果が誤認であることを確認していた。にもかかわらず、海軍部は、戦果の訂正を行わず、陸軍にも情報を伝えなかったことから、その後の日本軍の戦略や戦況に多大な影響を及ぼすことになる([[#戦果誤認]]を参照)。
 
16日、連合艦隊司令部は志摩艦隊に帰還するよう命じる<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]77頁</ref>。17日、志摩艦隊(那智)は[[奄美大島]][[薩川湾]]に損失もなく入港した<ref>[[#捷号作戦はなぜ失敗したのか]]130頁</ref>。
=== 大本営発表 ===
;昭和19年10月12日17時20分
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:[[艦載機]]のみ。陸上基地より作戦。
*[[第五艦隊 (日本海軍)|第五艦隊]]([[志摩清英]]中将)
**重巡洋艦「那智」、「足柄」、軽巡洋艦阿武隈、駆逐艦7隻(第7駆逐隊《[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]》・ 第18駆逐隊《[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]》第21駆逐隊《若葉、初春、初霜》)
:誤報戦果により残敵掃蕩の任を帯びて日本本土より出撃したが、空振りに終わる(下記)。