「フィン人」の版間の差分
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[[言語学]]的な見地から見えることは[[エストニア人]]ともっとも近く、次いで近縁にあるのが[[サーミ人]]である。[[フィンランド湾]]を挟んだフィンランド・エストニア間の往来が活発な現在の[[フィンランド語]]は[[エストニア語]]とは通訳なしで通じるのに比べて、[[サーミ語]]とは全くと言っていいほど言葉が通じない。
[[遺伝学]]的には母系の[[ミトコンドリアDNA]]はヨーロッパの民族にみられるハプログループ[[ハプログループH (mtDNA)|H]]、U、J、Tが多いが、古いヨーロッパの民族のミトコンドリアDNAを多く保有しているとされる。一方、父系の[[Y染色体ハプログループ]]は北アジアの[[モンゴロイド]]に広範にみられる系統の[[ハプログループN (Y染色体)]]に属するN1c が圧倒的であり、このハプログループN系統は北東アジアで生まれ、シベリアを経由しヨーロッパまで分布を広げていったとされる
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[[紀元前3000年]]ごろから定住し、[[古代ローマ]]の[[歴史家]][[タキトゥス]]の記録に登場するため、2000年以上前には歴史に登場したと思われる。タキトゥスの記述した「フェンニ」がフィン人の語源になったことは間違いないが、フェンニが古代フィン人のことを指していたかどうかは詳らかではない。もし違うのなら、「フェンニ」の誤用が現在の名称のもとになったということになる。
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彼らのルーツは民族叙事詩「[[カレワラ]]」に詳しい。冷涼の土地に定着したのに関してフィンランド人の間では「『ウラル語族』のなかの愚かな人々がうっかり定住するところを間違えたのがわれわれフィンランド人だ(それに対し賢かったのはハンガリー人)」と自嘲気味に語られることがある。
フィン人は人口が少なく、古代には[[自然崇拝]]に基づいた、[[スオミ人]]、ハミ人、[[カレリア人]]などの三部族に分かれての生活を送ってきた。しかし、その三部族の部族内でさえバラバラで、そのため統一国家樹立を実現する前に、[[ノルマン人]]の[[スウェーデン人]]による[[北方十字軍]]の征服を受け、キリスト教化し[[ヨーロッパ世界]]に組み込まれた。スウェーデンによる支配は長く続き、宗教や文化などで強い影響を受けている。その後19世紀には[[スラブ人]]の[[ロシア帝国]]の支配を受けると、ようやく[[民族主義]]が高まり、帝政ロシア崩壊直後の[[1918年]]には[[フィンランド共和国]]を樹立した。しかし[[第二次世界大戦]]の直前には、ロシアの版図を引き継いだ[[ソビエト連邦]]の侵攻を受けた。絶望的な戦力差にもかかわらず、[[冬戦争]]・[[継続戦争]]での善戦もあって領土の一部を割譲しつつも独立を維持したが、[[ナチス・ドイツ]]と提携していたこともあって戦後は敗戦国の地位に甘んじることとなった。[[国際連合]]の[[常任理事国]]となったソ連から賠償金を請求されたほか、かろうじて非共産圏にとどまったものの、後世に[[フィンランド化]]と揶揄されるほどの親ソ政策・対ソ宥和外交を余儀なくされること
== 居住域 ==
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