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[[1914年]][[7月28日]]、[[第一次世界大戦]]が勃発した。北欧諸国は直ちに中立を表明し、相互の安全のために強調しようとする機運が高まり、[[汎スカンディナヴィア主義]]が再び台頭した<ref name="tunoda_121">[[#角田1955|角田1955]]、p.121。</ref>。スウェーデンの[[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]]はこうした世論をいち早く察知し、同年12月、デンマーク、ノルウェーに働きかけて[[マルメ]]において三国国王会議を実施した。とくに大戦による貿易の不振は各国の経済状況を著しく脅かしたため、これを解消すべく積極的な相互援助を行うことで合意した<ref name="tunoda_121"/><ref group="注釈">デンマークは穀物や畜産品を、ノルウェーは木材、パルプ、化学製品を、スウェーデンは鉄材、鋼鉄製品をそれぞれ相互に供給することで合意した。([[#角田1955|角田1955]]、p.121。)</ref>。こうした三国間の共同歩調の成果もあって前半期は比較的安定した状況が続いていたが、後半期になると連合国の海上封鎖強化などが影響し、食糧事情の悪化が深刻になった<ref name="tunoda_122">[[#角田1955|角田1955]]、p.122。</ref>。穀物取引の政府経営や主要食料品の配給制といった対策が取られたが、行き詰まりは隠せず、国内情勢は不安定となった<ref name="tunoda_122"/>。デンマークは[[ヴァージン諸島]]をアメリカに割譲するなどして財政の窮状を凌いでいたが、これに乗じて[[アイスランド]]の独立問題が勃発し、左派勢力を抑えきることが出来ないまま[[1918年]]、アイスランドの独立が承認されるに至っている<ref name="tunoda_123">[[#角田1955|角田1955]]、p.123。</ref>。また同年、ロシアの混乱に乗じてフィンランドが独立宣言を行うなど、北欧諸国は大きな転換期を迎えることとなった<ref name="tunoda_123"/>。
[[File:Per Albin Hansson - Sveriges styresmän.jpg|thumb|left|150px|福祉国家の建設に尽力したスウェーデンの[[ペール・アルビン・ハンソン|en|Per Albin Hansson]]首相。]]
第一次世界大戦により北欧諸国は大きな打撃を蒙ったが、直接的な戦災は免れたため、その復興も迅速であった<ref name="tunoda_220">[[#角田1955|角田1955]]、p.220。</ref>。スウェーデンでは短期間に政権が交代する不安定な情勢を迎えたが、[[1932年]]に[[スウェーデン社会民主労働党|社会民主党]]が政権についたことで安定を来した<ref name="murai1_168">[[#村井2009-1|村井2009-1]]、p.168。</ref>。ペール・アルビン・ハンソンは「[[国民の家]]」をスローガンに福祉国家の建設を進め、国民全員を恩恵の対象とした普遍主義的社会保障制度の確立を目指した<ref name="murai1_168"/>。デンマークでは[[1915年]]に制定した改正憲法が[[1918年]]になって発効し、男女の普通選挙が実施されるようになった。左派と右派が短期間に入れ替わる混沌とした状態がしばらく続いたが[[1929年]]に{{仮リンク|トルワード・スタウニング|en|Thorvald Stauning|da|Thorvald Stauning}}が政権につくとようやく情勢が安定し、デンマークに繁栄をもたらした<ref name="tunoda_224">[[#角田1955|角田1955]]、p.224。</ref>。しかし、ノルウェーでは{{仮リンク|グンナー・クヌットセン|en|Gunnar Knudsen|no|Gunnar Knudsen}}内閣が戦争の終結と同時に復興に乗り出したが労働運動の激化により思うような成果が挙げられずにいた<ref name="tunoda_225">[[#角田1955|角田1955]]、p.225。</ref>。また、[[1919年]]に国民投票で決定した禁酒法の施行に対し、ノルウェーにぶどう酒やシェリー酒を輸出していたスペインやポルトガルが報復的にノルウェーからの輸入を差し止める事態が引き起こされ、ノルウェーの経済に大きな打撃を与えた<ref name="tunoda_226">[[#角田1955|角田1955]]、p.226。</ref>。時の首相はそれぞれの手法で禁酒法の緩和を試みたがその悉くを野党に潰され、景気の回復はままならない状況に陥っていた<ref name="tunoda_226"/>。