「誰も寝てはならぬ」の版間の差分

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== 概要 ==
このアリアは最終幕である第3幕 で、カラフによって歌われる。第2幕において、カラフはトゥーランドット姫への[[求婚]]者にだされる3つの難題を見事に解決した。それにも関わらず、姫はカラフとの結婚に難色を示す。そこでカラフは自分の名前を[[夜明け]]までに当ててみせれば、結婚を諦めて命を捧げようと申し出る。ただし、名前を解き明かせなかったら、カラフとの結婚を姫は承諾しなければならない。そこで冷酷な姫は自国の[[国民]]に対し、カラフの名を解き明かすまでは寝ることを禁ずるというお触れを出す。そして、もし誰も解き明かせなかったら、国民を皆殺しにすると言う。
 
第3幕は夜の時点から始まる。カラフは一人、宮殿から月に照らされた庭に出る。そこでトゥーランドット姫のお触れを聞く。ここでアリア『誰も寝てはならぬ』がカラフによって歌われる。
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誰も寝てはならぬ!
誰も寝てはならぬ!
御姫様、貴方あなたでさえも、
冷たい寝室で、
愛と希望に打ち震える星々を見るのだ…
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誰も私の名前を知らない!
いや、そんなことにはならない、
夜明けと共に私は貴方あなたの唇に告げよう!
そして、私の口付けが沈黙の終わりとなり、
私は貴方あなたを得る。
 
'''<<コーラス(女声)>>'''
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[[ルチアーノ・パヴァロッティ]]が著名な歌い手として知られ、「誰も寝てはならぬ」が世界的に有名になるきっかけを作った人物でもある。イギリスのラジオ番組でパヴァロッティ・ファンのディレクターが、パヴァロッティの歌う「誰も寝てはならぬ」を放送。パヴァロッティ「誰も寝てはならぬ」単体でシングル発売し、クラシックとしては異例の、イギリスのシングルチャートのトップ(ロック含め全シングルチャートトップ)を数週間に渡り記録し、全英だけで400万枚以上、全世界1200万枚以上の驚異的セールスを記録し{{要出典|date=2008年6月}}、これをきっかけに「[[三大テノール]]」公演が実現した{{要出典|date=2008年6月}}。
 
[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]記念のいわゆる「[[3大テノール]]」([[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[プラシド・ドミンゴ]]、[[ホセ・カレーラス]])コンサートにおいてわれ、それ以降イベントごとにパヴァロッティはこの曲を歌うこととなり、2006年[[トリノオリンピック]]開会式でも彼によって歌われた。しかし零下になる2月の寒空での本番で完璧に歌う自信がなかったため、オーケストラの演奏を含めたすべてが一週間前に録音された演奏にあわせた[[口パク]]だったことが、このステージの指揮者でもあったレオーネ・マジエラの著書により明らかになった<ref>2008年4月9日 AP通信</ref>。
 
パヴァロッティの死後、彼に才能を見出されたイタリア人テノール、[[アンドレア・ボチェッリ]]が2010年4月30日の[[上海国際博覧会|上海万博]]開幕式においてこの曲を歌った。
 
本来はテノールのためのアリアだが、近年は[[サラ・ブライトマン]]や[[アレサ・フランクリン]]、[[本田美奈子.]]など女声による歌唱も多くなっている。[[2002年]]には[[フレデリック・ケープ]]が大胆なダンスアレンジを施しながらサビにこのアリアのメロディと歌詞を組み込んだオリジナル楽曲として「Vincero」を発表した。日本においては、[[2007年]]に発売された[[東儀秀樹]]のアルバム『Out Of Border』にも収録され、[[2008年]]には新たに日本語歌詞を付けて歌唱した[[砂川恵理歌]]の「ひかり」が発表されている。同年に[[藤澤ノリマサ]]も日本語歌詞をつけた「VINCERO -ビンチェロ-」を発表しているが、これはFredrik Kempeの楽曲のカバーである。[[ロック (音楽)|ロック]]界でもこの楽曲をカバーするアーティストは多く、[[ウリ・ジョン・ロート]]、[[ジェフ・ベック]]、[[マノウォー]]などが取り上げている。
 
== 脚注 ==