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'''名草郡'''(なぐさぐん)は、[[和歌山県]]([[紀伊国]])にあった[[郡]]。
 
== 郡域古代 ==
[[1879年]]([[明治]]12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
 
* [[和歌山市]]の大部分(木ノ本、榎原、小屋以西および吐前、金谷以東を除く、概ね[[中之島 (和歌山市)|中之島]]、吉田、新内、友田町、美園町、田中町、木広町、吹屋町、新生町、手平、小雑賀、紀三井寺、布引以東<ref>[[住居表示]]実施地域については、正確な境界線は不詳。</ref>)
* [[海南市]]の一部(別院、沖野々、木津、次ヶ谷、ひや水、海老谷以東および下津町各町を除く)
 
なお、1879年の[[和歌山区]]設置以前は、和歌山城下のうち、現在の西蔵前丁、東蔵前丁、杉ノ馬場、元博労町、橋丁、寄合町、十三番丁、西汀丁、南汀丁、一番丁、岡山丁、藪ノ丁、片岡町、鷹匠町以東を郡域に含んだ。
 
== 歴史 ==
=== 古代 ===
『[[日本書紀]]』[[神武天皇]]即位前紀の「名草邑」を別として、『[[続日本紀]]』[[大宝 (日本)|大宝]]3年([[703年]])5月9日条に「紀伊国[[那賀郡 (和歌山県)|奈我]]・名草の二郡をして[[布]]の[[租庸調#調|調]]を停めて[[糸]]を献らしとむ……」とあるのが、郡名の初見とされている<ref>『続日本紀』大宝三年五月己亥条。</ref>。『[[和名類聚抄]]』によると、名草郡は紀伊国の[[国府]]の所在郡で、その地は現[[和歌山市]]府中に比定される。[[紀氏|紀家]]蔵の『国造次第』は郡の開設を19代[[紀伊国造]][[紀忍穂]]によるとし、忍穂の[[冠位]]が[[大山上]]であることから、[[孝徳天皇]]期([[645年]]-[[654年]])の建郡と推測される<ref name="地名"/>。郡名の由来について、『続風土記』には「其名義は詳ならずも或説に'''渚'''の義ならむといへり」と記す。また、古代の名草郡は[[伊勢国]][[度会郡|渡相郡(度会郡)]]、伊勢国[[多気郡|竹郡(多気郡)]]、[[安房国]][[安房郡]]、[[出雲国]][[意宇郡]]、[[筑前国]][[宗像郡]]などとともに、孝徳天皇期から[[天武天皇]]期にかけて順次設置されたとされる八[[神郡]]の1つに数えられていた<ref name="地名">『和歌山県の地名』(平凡社)名草郡項。</ref>。[[日前神宮・國懸神宮]]の所在地として重んじられ、[[養老]]7年([[723年]])11月16日には[[郡司]]に近親者の連任が許されている<ref>『続日本紀』養老七年十一月丁丑条。</ref>。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、名草郡では神社を代々まつってきた紀氏が重視されたものである。
 
==== 郷・神戸 ====
{{座標一覧}}
『[[和名類聚抄]]』高山寺本・東急本に記される郡内の[[郷]]。名草郡には多数の式内社が分布したことにより、郡内には多くの[[神戸 (民戸)|神戸]]が存在した<ref name="地名"/>。郷とそれら神戸との混同により、『和名類聚抄』でも諸写本で郷名に多くの錯乱が生じている<ref name="地名"/><ref>各郷・神戸の記載は、『和歌山県の地名』(平凡社)の名草郡項・各郷項・各神戸項による。</ref>。
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以上のほか、『和名類聚抄』に見えない地名では「宇治郷」「宇治保」「片岡里」「埴生里」などがある<ref name="地名"/>。
 
==== 式内社 ====
『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]に記される郡内の[[式内社]]。名草郡には紀伊国の半分以上の神社が記載されており、それらの中心は[[紀伊国造|紀伊国造家]]の奉斎する[[日前神宮・國懸神宮]]であった<ref name="地名"/>。
{{式内社一覧/header}}
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{{式内社一覧/footer}}
 
=== 近世明治維新後 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」に記載されている[[明治]]初年時点での支配は以下の通り。●は村内に[[寺社領]]が存在。(1町142村8浦)
{| class="wikitable"
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|}
 
=== 近代郡域 ===
[[1879年]]([[明治]]12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
 
* [[和歌山市]]の大部分(木ノ本、榎原、小屋以西および吐前、金谷以東を除く、概ね[[中之島 (和歌山市)|中之島]]、吉田、新内、友田町、美園町、田中町、木広町、吹屋町、新生町、手平、小雑賀、紀三井寺、布引以東<ref>[[住居表示]]実施地域については、正確な境界線は不詳。</ref>)
* [[海南市]]の一部(別院、沖野々、木津、次ヶ谷、ひや水、海老谷以東および下津町各町を除く)
 
なお、1879年の[[和歌山区]]設置以前は、和歌山城下のうち、現在の西蔵前丁、東蔵前丁、杉ノ馬場、元博労町、橋丁、寄合町、十三番丁、西汀丁、南汀丁、一番丁、岡山丁、藪ノ丁、片岡町、鷹匠町以東を郡域に含んだ。
 
=== 歴史沿革 ===
==== 町村制以前 ====
* 明治4年
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* 明治16年([[1883年]]) - 新出島村が改称して桑山村となる。
* 明治17年([[1884年]]) - 2ヶ所ずつ存在した南出島村のうち1村が納定村(現・和歌山市納定)に改称。
 
なお、[[徳川御三家]]の[[城下町]]である[[名古屋市]]・[[和歌山市]]・[[水戸市]]はいずれも県庁所在地になっており、名古屋・水戸は旧郡名から採った「[[愛知県]]」「[[茨城県]]」となっているが、和歌山は都市名から採った「和歌山県」となっている。
 
==== 町村制以降 ====
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** 岡町村[飛地]が海部郡[[雑賀村]]の一部となる。
* 明治29年([[1896年]])4月1日 - [[郡制]]の施行のため、名草郡・海部郡の区域をもって'''[[海草郡]]'''が発足。同日名草郡廃止。
 
なお、[[徳川御三家]]の[[城下町]]である[[名古屋市]]・[[和歌山市]]・[[水戸市]]はいずれも県庁所在地になっており、名古屋・水戸は旧郡名から採った「[[愛知県]]」「[[茨城県]]」となっているが、和歌山は都市名から採った「和歌山県」となっている。
 
== 脚注 ==