「ウグリチのドミトリー」の版間の差分

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'''ドミトリー・イヴァノヴィチ'''({{lang-ru|Дмитрий Иванович}}、[[英語]]:Dmitry Ivanovich, [[1582年]][[10月19日]] - [[1591年]][[5月15日]])は、[[ロシア・ツァーリ国|ロシア]]の[[ツァレーヴィチ]]、[[ウグリチ]]公。雷帝[[イヴァン4世]]とその7番目の妻[[マリヤ・ナガヤ]]との間の息子。 [[正教会]]の[[聖人]]でもあり、'''ウグリチのドミトリー'''({{lang|ru|Дмитрий Углицкий}}、Dmitry of Uglich)とも呼ばれている。
 
== 生涯 ==
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しかし、[[1598年]]にフョードル1世が子供のないまま没し、ボリス・ゴドゥノフがツァーリに即位すると、もう一人の継承者となるはずだったドミトリーの死の真相を巡って、ロシアでは様々な噂が飛び交った。
 
ドミトリーの死は[[リューリク朝]]の断絶を決定づけ、またその死をめぐる謎がその後の政治的混乱の重要な[[ファクター]]となったため、ロシアの[[動乱時代]]に常に影を落とし続けた。
 
== 死因 ==
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[[Category:正教会の聖人]]
[[Category:動乱時代]]
[[Category:イヴァン4世]]
[[Category:1582年生]]
[[Category:1591年没]]