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== 国際連盟の沿革 ==
=== 設立 ===
[[第一次世界大戦]]中の[[1917年]]の6月28、29、30日の三日間、パリのカデー町16番地の[[フリーメイソン|フランス大東社]](グラントリアン)の本部において、ユダヤ人アンドレ・ルベーが議長となって、国際連盟設立のための会議を催し、連盟規約草案13ヶ条が作成されたのが、事の始まりである。会議開催初日の6月28日は、[[1914年]]6月28日、[[オートリ・ヘルツェゴビナ]]の[[サラエヴォ]]において、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]の皇位継承者[[フランツ・フェルディナント大公]]を、フリーメイソンの[[ガヴリロ・プリンツィプ]]が暗殺した、[[サラエヴォ事件]]のちょうど3周年にあたる。
 
翌1918年1月8日、[[アメリカ合衆国大統領]][[ウッドロウ・ウィルソン]]は[[十四か条の平和原則]]を発表し、その第14条「国際平和機構の設立」において国際的平和維持機構の設立を呼びかけた。この平和原則はドイツに対する講和条約の前提となり、[[パリ講和会議]]では連盟設立が重要議題の一つとなった。講和会議後に締結された[[ヴェルサイユ条約]]、[[サン=ジェルマン条約]]、[[トリアノン条約]]、[[ヌイイ条約]]、[[セーヴル条約]]の第1編は国際連盟規約となっており、これらの条約批准によって連盟は成立した。原加盟国は42カ国で、[[イギリス]]・[[フランス]]・[[日本]]・[[イタリア]]といった[[列強]]が常設理事会の[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]となり、1926年には[[ドイツ国]]、1934年には[[ソビエト連邦|ソヴィエト社会主義共和国連邦]]も加盟と同時に常任理事国となり、加盟国数が60カ国に達したが、以降は脱退・除名等で加盟国が減少に転じている<ref>斉藤孝『国際政治の基礎』有斐閣、1988年、pp112-113.</ref>。