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[[ヨーロッパ]]では、それまでの[[ガレー船]]の[[帆#ラテンセイル|ラティーン・セイル]](三角帆)に加えて、ヴァイキング船の横帆を取り入れた「[[キャラック船]]」を生み出した。[[15世紀]]初頭には[[ポルトガル人]]が、[[帆#ラテンセイル|ラティーン・セイル]]と横帆を持つ小型の「[[キャラベル船]]」を生み出し、「[[エンリケ航海王子]]」の支援も受けて、外洋への航海に乗り出していった。
 
[[16世紀]]には[[キャラック船]]を元に[[ガレオン船]]が登場し、大航海時代になった<ref name = "船と海運のはなし"/>。[[ガレー船]]は[[18世紀]]末まで[[地中海]]で、[[北ヨーロッパ|北欧]]の[[バルト海]]では[[19世紀]]初頭まで使用された。[[1807年]]に[[ロバート・フルトン]]が作った外輪[[蒸汽船]]が[[ニューヨーク]]とオリバニー間で運航を開始した後は、多数の帆船に[[蒸気機関]]が搭載され、また、帆船も港での操船は蒸気エンジンを備えたタグボートに任せることができるようになったため、外洋航行に最適化した高速大型帆船が作られ、「クリッパー」と呼ばれる高速帆船も登場した。[[1858年]]に英国人[[イザムバード・キングダム・ブルネル|アイザム・K・ブルーネル]]が発明したスクリュープロペラを備えた外洋定期客船「グレート・ブリテン」が作られた。英海軍が海上公開実験によってその性能を確認し、軍艦の標準としたため、各国海軍もそれに倣った。[[1869年]]に[[スエズ運河海底ケーブル]]開通すると充実した1860年代から、軍艦だけでなく商船でも、航行スケジュールが確実な蒸気船が帆船を駆逐するようになっていった。[[スエズ運河]]は開通してから当分の間、通行可能な船のサイズに制限があったり、[[運賃]]が高かったりして、商船がしばしば利用を敬遠した。
 
蒸気船の歴史については[[蒸気船#歴史(世界)]]と[[蒸気船#歴史(日本)]]を参照のこと。