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[[第二次世界大戦]]後の教訓では、大型で強力な戦車とは、厚い[[装甲]]と強力な砲の組み合わせを意味する。[[機甲戦|戦車戦]]を生き延び、敵戦車を撃破する能力である。しかし戦間期、特に[[1920年代]]には、敵戦車の脅威が総じて低く見積もられ、移動[[トーチカ]]として[[歩兵]]を掃討する役割が求められた。このころの重戦車の主流は、低速と重装甲を組み合わせたものであった。攻撃力、特に装甲貫徹力は、戦中の戦車と比べると軽視された。模索された重戦車の中では、装甲を薄くするかわりに複数の砲を持つ[[多砲塔戦車]]が試されたこともあった。
 
フランスとソ連は、低速・重装甲の重戦車を保有した。[[イギリス]]は[[歩兵戦車]]の名で同様の戦車を作った。[[イタリア王国|イタリア]]はその地形から軽快な戦車を好み、重戦車を開発しなかった。[[ヴェルサイユ条約]]で戦車保有を禁じられた[[ナチス・ドイツ]]は、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]政権となった[[ナチス・ドイツ]]で戦車の生産と配備を急いだが、重戦車には手が回らなかった。
 
== 第二次世界大戦の重戦車 ==