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== 日本画・浮世絵の描き手としての「絵師」 ==
『[[日本書紀]]』には、[[崇峻天皇]]元年([[588年]])条に、「画工白加(えたくみ はくか)」の名や[[推古天皇]]12年([[604年]])条の「[[黄書大伴|黄書]]画師(きふみのえかきy5try7x575576u4u76546x6467i57566o8xs646yc8i69p;786c8l57x5763z)」、「山城画師(やましろえかき)」の記事がある。また、「[[聖徳太子伝暦]]」ではこの他に、簀秦(すはた)画師、[[河内氏|河内]](かわち)画師、[[楢]](なら)画師の記述がある<ref>[http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/06/1006j0419-00005.htm 朝鮮日報 〈渡来文化 その美と造形 13〉 壁画を描いた画家は?]</ref><ref>[http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/jart/nenpu/6shes001.html 筑波大学日本美術シソーラスデータベース]</ref>。この時代(6世紀末から8世紀にかけて)の画師は寺院壁画や石室内壁画など、宗教壁画としての[[絵仏師]]が活動しており、遺物として壁画の破片も出土している(一例としては、[[法隆寺]]若草伽藍跡)。
 
[[律令制]]の下で[[画工司]]が設置されて、画師などが配置されて宮中で用いる絵画などの作成を行った。画工司は[[平安時代]]初期に廃止されたが、程なく[[蔵人所]]支配下の[[画所]]と呼ばれる令外の機関として復活して再び画師が配置された。
 
[[江戸時代|江戸期]]以前の日本には[[芸術家]]としての「画家」という概念が無く、絵画の専門家は絵を描く技能に長けた技能者あるいはその仕事をする職人と見なされていた。技能に長けた者を意味する「師」という字が用いられるのもそれ故である。
 
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浮世絵は[[版画]]の技法で複数の職人により原画から版が作られ多くの数が刷られるものである。そのため絵師は現代でいう所のアニメーションやゲームの原画家のような側面も持ち合わせていた。元の絵を描く人を絵師、それを版画に彫る人を[[彫師]]、紙に摺る人を[[摺師]]といった。