削除された内容 追加された内容
Millennia (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''太陽暦'''(たいようれき、[[英語]]:solar calendar)とは、[[地球]]が[[太陽]]の周りを回る周期([[太陽年]])を基にして作られた[[暦]]([[暦法]])である。1年の日数を1太陽年に近似させている。世界で多くの地域で使用されている'''[[グレゴリオ暦]]'''は、太陽暦の1つである。
 
== 概要 ==
太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期([[太陽年]])を基にしている。その周期は、365.24219日<ref name=rika>平成27年 [[理科年表]]</ref>であり、1年を365日とすると4年で1日以上のずれが生じる。そのずれを補正するため[[閏日]]を設けられている。<br>
 
[[エジプト]]では、太陽暦は歴史が始まってから使われてきた<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki">{{SfnCite book|和書|author = [[内田正男]]|title = [[世界大百科事典]]|edition = |date = |year = |publisher = [[平凡社]]|location = |isbn = |chapter = 太陰暦|ref = }}</ref>[[共和政ローマ|ローマ共和国]]([[ローマ帝国]]の前身)では、[[紀元前46年]]従来の[[太陽太陰暦]]である[[ローマ暦]]に代えて導入された{{Sfn|内田正男}}<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/>。そのとき導入した[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]の名をとって[[ユリウス暦]]と呼ばれる。その後、[[1582年]]に、ユリウス暦の補正の仕方(置閏法)を改良した[[グレゴリオ暦]]が[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世]]により制定され、世界中に普及した。
 
==日本と太陽暦 ==
日本では、[[明治]]5年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]([[1872年]]12月31日)まで[[太陽太陰暦]]([[天保暦]])が使用されていたが、[[1873年]]に太陽暦であるグレゴウス暦を導入し、導入日を明治6年1月1日とした(詳細はグレゴリオ暦にある「[[グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入|日本におけるグレゴリオ暦導入]]」の節を参照)
 
しかし、それ以前にも、古くは[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の末頃より[[キリシタン]]の人々に使われてきた{{Sfn|内田正男}}<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/><ref>[http://tabinaga.jp/museum/139/139.html 堂崎天主堂キリシタン資料館]</ref>。[[江戸時代]]の[[本多利明]]は太陽暦の便利さを説いている。[[中井履軒]]や[[山片蟠桃]]は、太陽暦の見本を作った<ref>[http://kaitokudo.jp/Kaitokudo1_cgi-bin/DataDisplay.exe?DocID=71&StyleSheet=bunko&Link=%5BLINK-INSERT-%5D 華胥国新暦] 中井履軒</ref>。蘭学医の[[大槻玄沢]]は、寛政6年閏11月11日(1795年1月1日)に[[オランダ正月]]を開催した。[[安政]]元年(1854)以降、天文方の渋川景祐によって日本最初の本格的な太陽暦「万国普通暦」が刊行された{{Sfn|内田正男}}<ref name="sekaidaihyakka-taiinreki"/><ref>[http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin3/contents/33/index.html 万国普通暦] 国立公文書館</ref>。
 
== 太陽暦に基づく暦法 ==
31 ⟶ 33行目:
* [[世界暦]]
* [[13の月の暦]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
39 ⟶ 45行目:
* [[二十四節気]]
* [[閏年|うるう年]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参照文献 ==
* {{Cite book|和書|author = 内田正男|title = 世界大百科事典|edition = 平凡社|date = |year =|publisher = 平凡社|location = 東京都|isbn =|chapter = 太陰暦|ref = }}
 
 
{{暦法}}