「コルモラン (仮装巡洋艦・2代)」の版間の差分

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|就役
|[[1941年]]9月にコルモランとして就役。
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'''コルモラン'''('''Hilfskreuzer Kormoran''')は[[第二次世界大戦]]中に[[ドイツ海軍]]が就役させた[[仮装巡洋艦]]である
 
== 概要 ==
元来、本艦コルモランは[[ハンブルク]]のハンブルク-アメリカ汽船が{{仮リンク|フリードリヒ・クルップAG|de|Friedrich Krupp AG|label=フリードリヒ・クルップ社}}[[キール (ドイツ)|キール]]造船所で建造した貨客船「シュタイエルマルク(Steiermark)」であった<ref name=anzac>「世界の艦船」2000年11月号(No.575)pp.90-92</ref>。これをドイツ海軍が徴用して仮装巡洋艦に改装した<ref name=anzac/>。仮装巡洋艦として就役後、本艦コルモランは11隻の商船を撃沈し、1隻の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]艦船を撃破した。
 
== 艦形 ==
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1969-117-48, Hilfskreuzer Kormoran.jpg|left|thumb|200px|Uボートから撮影されたコルモラン]]
 
コルモランの前身の貨客船シュタイエルマルクは、三島型の典型的な商船型船型であった。仮装巡洋艦として行動する際には中立国の商船に偽装する必要があったため、武装類は外観からそれと判らないように隠ぺいされており、原型の船形を活用して偽装を図っていた。
 
主砲の15cm単装砲は、船首楼と船尾楼の側面部を切り欠いて片舷2箇所ずつ計4箇所設けた隠顕砲座と、前部・中部甲板下の貨物倉に各1箇所ずつ計2箇所設けた隠顕砲座に配置した。舷側の4基は航海時には外板で隠されていたが、戦闘時には油圧シリンダーで外板が持ち上げられて砲座が現れる構造とした。他に船首楼に7.5cm高角砲1基、船体中央部に3.7cmカノン砲を片舷1基ずつ計2基を配置していた。後部の貨物倉には[[Ar 196 (航空機)|アラド196水上機]]2機を搭載し、その発進・収容には固有のデリックが用いられた。
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[[File:Kormoran senior officers.jpg|thumb|right|200px|コルモランの元乗員と士官。]]
 
本艦コルモランキール造船所で改装を受け、艦長デトマース少佐(作戦中に中佐に昇進<ref name=anzac/>)が1940年9月10日に着任し、10月にコルモランとして就役した。12月3日にゴーテンハーフェンから出撃し、[[ソビエト連邦|ソ連]]の貨物船ヴャチェスラフ・モロトフ(Vyacheslav Molotov)に偽装して12月10日に[[バルト海]]を離れ、12日に荒天を利用してグリーンランド海峡を通過した<ref name=anzac/>。以後、コルモランは[[インド洋]]から[[オーストラリア]]西方付近の海域で通商破壊任務に就き<ref name=anzac/>、11隻の敵商船を拿捕・撃沈した。
 
* 大西洋での戦果
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File:Bundesarchiv Bild 146-1969-117-46, Hilfskreuzer Kormoran.jpg|ドイツ[[Uボート]]へ補給作業を行うコルモラン
File:Bundesarchiv Bild 146-1985-117-02A, Hilfskreuzer Kormoran.jpg|
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=== 最後の戦闘 ===
[[File:HMAS Sydney (AWM 301473).jpg|thumb|200px|本艦コルモランと戦い撃沈された豪軽巡シドニー。]]
 
オランダ商船「Straat Malakka」を装った本艦コルモランは、1941年11月29日、西オーストラリア・シャーク湾沖約170浬の海域で[[オーストラリア海軍]]の[[リアンダー級軽巡洋艦]][[シドニー (軽巡洋艦・2代)|シドニー]]と遭遇した<ref name=anzac/>。シドニーからは発光信号で船名を確認する旨の信号が送られたが、本艦コルモランは信号が判らないふりをして時間稼ぎをした。その後も[[オランダ]]商船を装いながら[[国際信号旗|旗りゅう信号]]などで停船命令に従いつつ脱出の機会をうかがい、距離が1,300mまで縮まった後、本艦コルモランはオランダ商船旗を降ろしドイツ軍艦旗を掲げて近距離砲戦に移行した<ref name=anzac/>。
 
至近距離での発砲となったことから、本艦コルモランの射弾は初弾からシドニーに命中し、艦橋や射撃指揮装置を破壊した<ref name=anzac/>。これによりシドニーは有効な対処ができなくなり、更に本艦コルモランが発射した魚雷が1番主砲塔直下に命中して前部主砲群が使用不能となった<ref name=anzac/>。シドニーは後部3・4番主砲で応戦を続けたが、その後も着弾が相次いで火災を起こし、次第に本艦コルモランから離れていった<ref name=anzac/>。
 
本艦コルモランもシドニーの射弾を各所に受け、機関部への被弾により燃料タンクから出火した。また、機関部を損傷したため、消火ポンプの動力が絶たれて消火活動ができなくなり、火災が全船に拡大して機雷への誘爆の危険が高まったことから、艦長は艦の放棄を決意した<ref name=anzac/>。幸い、艦載艇は無事だったので、生存乗員は脱出することができた。この海戦([[:en:Battle between HMAS Sydney and German auxiliary cruiser Kormoran]])でコルモランの乗員約82名(士官5名、水兵52名、中国人の洗濯屋1名)が死傷し、残りの317名(そのうち3名は中国人の洗濯屋)はオーストラリアの捕虜となった<ref name=anzac/>。なおシドニーもこの戦闘で沈没し、生存者はなかった<ref name=anzac/>。
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/auxcruiser/kormoran/index.html Kormoran (HSK 8)]仮装巡洋艦コルモランの説明があるページ。
* [http://www.centrostudilaruna.it/la-crociera-della-nave-corsara-kormoran.html La crociera della nave corsara Kormoran]本艦コルモランの戦歴のあるページ。
* [http://www.zweiter-weltkrieg-lexikon.de/forum/viewtopic.php?f=4&t=256 Hilfskreuzer]ドイツの仮装巡洋艦の写真があるページ。武装の隠ぺい方法が判る。