「細川ガラシャ」の版間の差分

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しかし天正10年([[1582年]])6月、父の光秀が織田信長を[[本能寺]]で討って([[本能寺の変]])自らも滅んだため、珠は「逆臣の娘」となる。忠興は天正12年([[1584年]])まで彼女を[[丹後国]]の味土野(現在の[[京都府]][[京丹後市]][[弥栄町 (京丹後市)|弥栄町]])に隔離・幽閉する。この間の彼女を支えたのは、結婚する時に付けられた[[小侍従 (細川ガラシャの侍女)|小侍従]]や、細川家の親戚筋にあたる清原家の[[清原マリア]]([[公家]][[清原枝賢]]の娘)らの侍女達だった。
 
珠の幽閉先とされる場所であるが、丹後味土野の山中(現京丹後市弥栄町)に天正10年9月以降に幽閉されたことは史実である。しかし一方、「丹波史」には丹波味土野に珠が隠棲していたとの伝承「丹波味土野説」がある。この伝承が事実とすると、本能寺の変直後には、細川忠興は珠をまず明智領のgbjvふtvhcうくgkyふkvkyっchkvjy、fjy、fyfjy、fjygyj。v
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丹波味土野屋敷に送り返し、明智が滅亡したのちに改めて細川領の丹後味土野に屋敷を作って珠を幽閉したとも考えられる。
 
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