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'''ゾマホン・イドゥス・ルフィン'''(''Zomahoun Idossou Rufin''、[[1964年]][[6月15日]] - )は、[[西アフリカ]]・[[ベナン|ベナン共和国]]出身の[[タレント]]、駐日ベナン国大使<ref>【日本国外務省】2012年8月2日付[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/8/0802_02.html 「新任駐日ベナン共和国大使の信任状捧呈」]</ref>。
 
[[TBSテレビ|TBS]]系列のバラエティ番組「[[ここがヘンだよ日本人]]」で所謂[[外国人タレント]]として日本でその名を知られるようになり、大使になるまでは[[オフィス北野]]に所属し、タレント活動をしていた。現在{{いつ|date=2014年1月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->は[[特定非営利活動法人|NPO法人]]の設立運営、[[ベナンの大統領|ベナン共和国第4代大統領]][[ヤイ・ボニ]]のアジア・オセアニア関連大統領特別顧問、駐日特命全権大使<ref>{{Cite web|date=2009年9月4日-09-04|url=http://www.quotidienlematinal.info/?Cooperation-Benino-japonaise-L|title=Coopération Bénino-japonaise:L’opérateur économique Takashi en fin de visite au Bénin|publisher=TOUTE l'INFO AU BENIN|language=フランス語|accessdate=2011-12-19}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011年3月4日-03-04|url=http://www.quotidienlematinal.info/?Presidentielle-de-2011-Desire|title=Présidentielle de 2011:Désiré Adadja et Rufin Zomahoun mobilisent Savalou pour Yayi|publisher=TOUTE l'INFO AU BENIN|language=フランス語|accessdate=2011-12-19}}</ref>。
 
幼少時に[[カトリック教会|カトリック]]の洗礼を受けているカトリック信者でもあり、本名のルフィンは[[洗礼名]]である。
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== 来歴 ==
=== 幼少期 ===
[[1964年]]6月15日に[[西アフリカ]]の[[ダホメ共和国]](現:[[ベナン|ベナン共和国]])[[ダサズメ]]・イガンガン村で生まれた。公務員の父の下、10人兄弟の末っ子として生まれる。しかしベナンは乳幼児死亡率が高い国家で、ゾマホンの兄と姉に当たる兄弟は、2人を残して皆ゾマホンが生まれる前に死んでしまったという<ref name="zomahounmailmaga">{{Cite web|date=2009年9月4日-09-04|url=http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back130.html#c2|title=ゾマホンさん新連載コラム 「人生甘くないよ」 (第1回)|publisher=ソフトブレーン株式会社|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
 
ゾマホンの父は厳格で、幼少時のゾマホンにとっては非常に怖い存在であり、常に敬語を使って会話をしていたという。15歳の時にその父が過労による病気で急死し、ゾマホンは父方の叔父の家のある[[コトヌー|コトヌー市]]に移り、叔父の家に住まいながら中学校に通う。当時のベナンにおける義務教育は有料であったが、父が教育に熱心で貧しい生活ながらも力を入れて子ども達を小学校に通わせたため、ゾマホンは勉強好きになる。成績は非常に優秀で、[[1986年]]に当時ベナン唯一の[[国立大学]]であった国立ベナン大学(現[[国立アボメ・カラビ大学]])に合格したが、父親が既に他界していたため、学費はもちろん、[[文房具]]を買うお金にさえも困っていた<ref name="zomahounmailmaga"/>。
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=== 来日 ===
修士課程修了後、中国で知り合った日本人の友人を頼って、[[1994年]]、自費留学生として来日<ref name="zomahounmailmaga"/>した。江戸川区・小岩にある学旺日本語学校(現・東京日英学院)に通いながら、ビデオカメラの把手部品の製造工場での仕事、語学講師、引越し屋の手伝い等数多くの[[アルバイト]]をこなした。
午前中は日本語学校に通い、その他の時間はアルバイトに充てたため、睡眠時間は通常でも1日3~43〜4時間、少ない時は1~21〜2時間という生活を送る。生活費を切り詰めるため食事は1日1食で、公園などの水のみで生活した時期もあったという。このような生活がたたり[[胃潰瘍]]になったこともある。
 
また、留学の際に保証人となった高橋政昭の経営の工場で、作業中に激しい眠気が襲い、左手の人指し指を切断してしまう。病院での入院費その他の諸費用は、全て高橋が負担した。そのためゾマホンは著作の中で高橋を「私にとっての神様です」と敬しており、また、最初のページに「故・高橋政昭・氏に捧ぐ」と書いている。また、ゾマホンが「日本とベナンの間の掛け橋になりたい」という夢を掲げるようになったのも、高橋の影響であるという。
[[1997年]]2月、[[上智大学]]大学院博士前期課程(修士課程)に入学した。修士論文のテーマは、「母国ベナンにおける初等教育普及問題点日本と中国を比較して」<ref name="zomahounmailmaga"/>であった。
 
=== テレビタレントとして ===
[[1998年]]に[[高円寺]]の[[ラーメン屋]]にて、[[稲川素子事務所]]のスカウトマンにスカウトされ、TBS系列ビートたけし司会の「たけし×世界バトルIIここがヘンだよ日本人」という2時間スペシャルの特番に出演する。その際のゾマホンのコメントが好評を博し、「変なアフリカ人」という事で、以降、稲川事務所所属の外国人タレントとして、同テレビ局でレギュラー化された「[[ここがヘンだよ日本人]]」に出演するようになる。また、フジテレビ系人気バラエティ番組「笑っていいとも」にも出演するようになる。
 
特に「ここがヘンだよ日本人」での独特の訛りと、議論が白熱する際のエキセントリックなリアクションでお茶の間の人気を博し、様々な番組内でのコメンテーターとして主演。さらには小学校建設などの社会福祉的な活動をはじめ、自著を出版するに至る。来日当初から講演会に招かれることもあったようだが、その数がより一層増し、様々な学校や会社などで講演活動を行っている。[[ビートたけし]]を尊敬しており、その後[[オフィス北野]]に移籍。たけしの[[付き人]]をしているので、[[ビートたけしのTVタックル]]の5秒番組予告に付き人として、2010年5月21日に[[カンヌ映画祭]]で帰国したたけしの側にいるといった感じでテレビ画面に映る事がある。また、たけしの協力を得て、母国ベナンに学校を作る計画を実現した。
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仕事で得た金銭で贅沢等は一切していない。2009年時点でも東京[[中野区]]の家賃3万8,000円、風呂なしのアパートで一人暮らしをしていると答えている<ref name="iLOUD2"/>(なお、駐日ベナン大使就任以降は規則として大使公邸に在住しているが、住んでいたアパートを借りた状態のままにしている<ref>苦労して苦労してたどり着いた日本で… 駐日ベナン大使、ゾマホン・ルフィンさん 産経新聞 2013年1月4日</ref>)。
 
大の[[銭湯]]好きであり<ref name="iLOUD2">{{Cite web|url=http://www.iloud.jp/interview/zomahoun/2.php|title=iLOUD - ゾマホン  『ここがヘンだよ日本人』でおなじみ、ナンのヒーローが鮮烈歌手デビュー!|publisher=iLOUD|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>、来日当初から近所の「白鷺湯」<ref>[http://ameblo.jp/gurumiokurumi/entry-10658272740.html 中野区 白鷺湯 (2010年10月10日をもって廃業)]</ref>という銭湯にほぼ毎日のように通っていたという。
 
口癖は「人生甘くない」。
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=== 日本観 ===
* [[日本]]の発展は、[[教育]]にある。何故ならば日本人の[[識字率]]は、100%だから。母国では考えられない。国を発展させ、先進国にするには、教育が必要不可欠である。明治時代に日本が義務教育を開始したのは素晴らしい政策である<ref name="zomahoun">{{Cite web|url=http://www.zomahoun.com/benin/informations/feature/200512.html|title=竹本直一先生とゾマホンの対談|publisher=ゾマホン・ドットコム|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
* 江戸時代と[[明治時代]]の日本人は素晴らしい。特に外国に対して[[鎖国]]をした。それが為に[[ヨーロッパ]]の[[植民地]]にならなかった。また、鎖国政策をしながら、同時に教育は大事にした<ref name="zomahoun"/>。それが国の発展に繋がった。
* 日本という国は、素晴らしい国である。特に日本の[[安全]]は素晴らしい。私でも外国人登録証とパスポートを持っていれば、日本全国を安心して移動することができる。それは他の先進国では不可能なことである。この日本の「安全さ」は何よりも価値が高いものである。<ref name="zomahounblog">{{Cite web|date=2010年5月-05-29|url=http://www.zomahoun.com/ife/staffs/yamamichi/message/001240.html|title=日本のタクシーに乗る|publisher=きときとアフリカ|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref><ref name="zomahounmailmaga6"/>。
* 安全というのは、ゾマホンにとって非常に大切な事で、人間社会にとって必要条件であると考えている<ref name="zomahounblog"/><ref name="zomahounmailmaga6">{{Cite web|date=2009-11-13|url=http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back135.html#c2|title=ゾマホンさん新連載コラム 「人生甘くないよ」 (最終回)日本とアフリカの未来|publisher=ソフトブレーン株式会社|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
* 日本の子供達は、外国人(特に[[アメリカ合衆国|アメリカ人]])のように、髪を染め、[[ミニスカート]]を履く。それは良くない<ref name="iLOUD3">{{Cite web|url=http://www.iloud.jp/interview/zomahoun/3.php|title=iLOUD - ゾマホン  『ここがヘンだよ日本人』でおなじみ、ナンのヒーローが鮮烈歌手デビュー!|publisher=iLOUD|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
* 日本人は、欧米しか知らない。世界を知ろうという気持ちが全く無い<ref name="zomahounlecture">{{Cite web|url=http://www.zomahoun.com/zomahoun/lecture/detail.html|title=講演会のおもな内容 - ゾマホン オフィシャルページ - ゾマホン・ドットコム|publisher=ゾマホン・ドットコム|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。日本で伝わっているアフリカの情報の多くは間違いである。本当のアフリカを知ってもらいたい<ref name="zomahounmailmaga2">{{Cite web|date=2009年9月-09-18|url=http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back131.html#c2|title=ゾマホンさん新連載コラム 「人生甘くないよ」 (第2回)ベナン共和国とは・・・アフリカの歴史とは・・・|publisher=ソフトブレーン株式会社|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
::日本におけるこういった間違い/事実誤認の原因は、アフリカにおける事件/事象を報道する際、しっかりと現地調査を行わず報道する日本のマスコミにあると考える。経済的にも困っておらず、技術も備わっていて力のある日本のマスコミがそれをしない現状は日本国民を馬鹿にする最低の行為である。日本人は自分たちもマスコミに騙されないよう「本当に知りたいものは、自分の目で見て確かめる」ということを忘れないで欲しい<ref name="zomahounmailmaga3">{{Cite web|date=2009-10月2日-02|url=http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back132.html#c2|title=ゾマホンさん新連載コラム 「人生甘くないよ」 (第3回)日本のマスコミについて思う|publisher=ソフトブレーン株式会社|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
 
=== 国家・アフリカ ===
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* 国を発展させる為に[[先進国]]や個人から援助してもらうのは、良くない。それよりも民間企業の投資を促進して欲しい。国を発展させる為の[[技術]]を先進国から学ぶべきである<ref name="zomahoun"/><ref name="zomahounmailmaga4"/>。
* アフリカ人であれ - アメリカやヨーロッパで会える[[ネグロイド|黒人]]は、黒人の顔をした[[ヨーロッパ|ヨーロッパ人]]。しかし、大切なのは、純粋な黒人。純粋な黒人に学ぶことはたくさんある。
* [[中華人民共和国|中国]]留学中に[[孫文]]の思想に非常に共鳴した。何故ならば、彼の考えは、自分の為に努力するのではなく、公の為に、みんなの為に努力するという考え、それが自分の考えと同じだからである。また日本では批判もあるが、アフリカでは毛沢東は尊敬されている人物である。[[毛沢東]]も愛している。アフリカが中国と同じ、植民地化という運命をたどった為に、黒人を非常に大事にした。それが毛沢東を愛する理由である<ref name="zomahounmailmaga4">{{Cite web|date=2009-10-16|url=http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back133.html#c2|title=ゾマホンさん新連載コラム 「人生甘くないよ」 (第4回)日本とアフリカの関係について|publisher=ソフトブレーン株式会社|language=日本語|accessdate=2011年2月-02-17}}</ref>。
;ベナン
*「死ぬまで尽くす」という[[ベナン]]への思い<ref name="zomahounmailmaga6"/>。
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===その他===
1998年12月16日放送、TBS系『ここがヘンだよ日本人~98〜98年10大ニュース』の中で、「黒人社会やアフリカにはゲイ、レスビアンは存在しない。私から見れば同性愛者は精神病だ」と発言した。
 
== 略歴 ==
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* 2009年 ゾマホン名義のCD「[[どんぐり野郎]]」([[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルJ]])で歌手デビュー。CD売上金のほとんどはベナンに寄付した
* 2009年 社会貢献支援財団により、「社会貢献者表彰」受賞
* 2011年 同年12月14日に行われたベナン共和国政府閣僚理事会において、同国首相{{仮リンク|パスカル・コウパキ|en|Pascal Koupaki}}によりゾマホンの新ベナン駐日大使への就任が提案され、同日ベナン政府により閣議決定された<ref>{{Cite web|date=2011-12-18|url=http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121801001746.html|title=ゾマホンさん駐日大使に ベナン、閣議決定|publisher=[[47News]]|language=日本語|accessdate=2011-12-19}}</ref><ref>{{Cite web|date=2011-12-15|url=http://www.quotidienlematinal.info/?Compte-rendu-du-conseil-des,35729|title=Compte rendu du conseil des ministres :Rufin Zomahoun, nommé ambassadeur du Bénin au Japon|publisher=TOUTE l'INFO AU BENIN|language=フランス語|accessdate=2011-12-19}}</ref>
* 2012年 8月2日、皇居にて新駐日ベナン国大使として、信任状捧呈を行った。
* 2012年 [[ポヌ・ジョジアヌ]]と結婚。
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また、アルバイトなどによる私財を通して母国ベナン共和国に対して医療援助も行っているという。日本で自身の貯金で医薬品等を安く買い、帰国時などに無償で病院などに配るなど、教育という枠を超えた社会福祉活動も実践している。
 
これらの功績により、2001年に世界最優秀青年賞([[国際青年会議所]] (JCI) )、2002年に[[ベナン|ベナン共和国]]の国民栄誉賞を受賞。
 
2001年に世界最優秀青年賞を受賞した際に財団を設立する事を勧められて、[[IFE]]財団という名の財団を設立し、その責任者にゾマホンが就任した。「IFE」とは、ベナンの現地語で「愛・分かち合い」等の意味で、その財団を通じ、教育・[[医療]]の普及や貧困・[[テロリズム|テロ]]の撲滅、日本の援助を実際に国民の手に届ける為の活動、人権・民主化の促進など、ベナンやアフリカ諸国を中心に国際社会全体への福祉活動をも実践している。また、同時に当初の目的であった日本とベナン、そして、アフリカ全体の交流もその財団にて実践している。それら財団の運営費は全て、ゾマホン個人で支払っているという。また、日本でもゾマホンの活動を支援するための「[[特定非営利活動法人]]IFE」が設立され、ゾマホンの活動を支える活動を行っている。これらの功績が認められたのか、来日当初は自費留学生、のちにベナン共和国国費留学生として、上智大学大学院で学んだ(2006年3月まで在籍)。