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| 活動期間 = [[1985年]] -
| ジャンル = [[青年漫画]]
| 代表作 = 『[[寄生獣]]』 『[[ヒストリエ]]』など
| 受賞 =第17回[[講談社漫画賞]]一般部門<br>(『寄生獣』)<br>
第27回[[星雲賞]]コミック部門<br>(『寄生獣』)<br>
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{{漫画}}
'''岩明 均'''(いわあき ひとし、[[1960年]][[7月28日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。男性。[[和光大学]]中退。本名は岩城 均(いわき ひとし)<ref name=骨の音>『骨の音』あとがきより</ref>。父親は[[和光大学]][[名誉教授]]の[[考古学者]]・[[岩城正夫]]。
『[[寄生獣]]』で1993年に第17回[[講談社漫画賞]]一般部門、1996年に第27回[[星雲賞]]コミック部門、『[[ヒストリエ]]』で2010年に第14回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞、2012年に第16回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞している。▼
== 概要 ==▼
[[1985年]]、[[ちばてつや賞]]に入選した「[[骨の音|ゴミの海]]」が『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]オープン増刊』([[講談社]])に掲載され、デビュー。主に『[[月刊アフタヌーン]]』などの講談社の雑誌で活動。代表作に『[[寄生獣]]』など。デビュー前は、[[上村一夫]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしていた。学生時代には父の著書に挿絵を提供したこともある。▼
残虐描写を特徴とするが、ストーリーは哲学的かつドラマティックな展開を両立させている。2000年代以降は歴史に題材を取った作品が多い。休載になることもしばしばで作品の量は多くなく、本人も自覚している<ref>第14回文化庁メディア芸術祭の受賞コメントでは、「(『ヒストリエ』)開始から7年経つのに単行本がいまだ6冊というのが何とも面目ない話で、今現在もほかのマンガ家さんが聞いたら笑ってしまうようなわずかな仕事量に立ち往生し、机にへばりついておる所です。ご挨拶にも伺えず申しわけありません」として授賞式にも参加していない。</ref>。▼
▲学生時代には父の著書に挿絵を提供していた。1984年、[[
▲『寄生獣』で1993年に第17回[[講談社漫画賞]]一般部門、1996年に第27回[[星雲賞]]コミック部門、『[[ヒストリエ]]』で2010年に第14回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞、2012年に第16回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞受賞。
漫画家の[[須賀原洋行]]とは親交がある。ともに『月刊アフタヌーン』に連載していたこともあり、『[[よしえサン]]』の単行本巻末に特別寄稿として、須賀原をモチーフにした読切作品を掲載したこともある。一方の須賀原も『寄生獣』単行本巻末に岩明を主人公にしたフィクション読切漫画「寄生OL」を特別寄稿している<ref>その時、岩明としてデザインされたキャラクターは『[[それはエノキダ!]]』の主人公「榎田保」として流用された。</ref>。
== 作風 ==
▲残虐描写を特徴とするが、ストーリーは哲学的かつドラマティックな展開を両立させている。2000年代以降は歴史に題材を取った作品が多い。休載になることもしばしばで作品の量は多くなく、本人も自覚している
== 略歴 ==
* 1985年:『ゴミの海』がちばてつや賞に入選しデビュー。
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* 1988年 - 1995年:『モーニングオープン増刊』、『月刊アフタヌーン』で『寄生獣』を連載。
* 1993年:第17回講談社漫画賞受賞(『寄生獣』)。
* 1996年:第27回星雲賞コミック部門受賞(『寄生獣』)。
* 1996年 - 1999年:『ビッグコミックスピリッツ』で『七夕の国』を連載。
* 1999年:『モーニング新マグナム増刊』にて『雪の峠』を短期集中連載。
* 2000年:『ヤングチャンピオン』にて『剣の舞』を短期集中連載。
* 2001年 - 2002年:『ヤングアニマル嵐』で『ヘウレーカ』を連載。
* 2003年:『月刊アフタヌーン』で、『ヒストリエ』の連載を開始。
* 2010年:第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞(『ヒストリエ』)。
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* 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』 2015年1月臨時増刊号 総特集・岩明均
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