「アレクサンダー・トッド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
10行目:
[[ケンブリッジ大学]][[クライスツ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|クライスツ・カレッジ]]の[[有機化学]]の教授で、[[特別研究員]]であった。[[1949年]]に[[アデノシン三リン酸]]と[[フラビンアデニンジヌクレオチド]]の合成に成功し、[[1955年]]に[[シアノコバラミン]](ビタミンB12)の構造を解明し、後には[[チアミン]]、[[トコフェロール]]や[[アントシアニン]]の構造と合成の研究に着手した。また、[[大麻]]に含まれる[[アルカロイド]]の研究を行っている。
 
1942年に[[王立協会]]の会員となり、1975年から1980年までは会長を務めた<ref>{{FRS |code = NA3633 |title = Todd; Alexander Robertus (1907 - 1997); Baron Todd of Trumpington |accessdate = 2011-12-14 }}</ref>。同協会から1949年に[[デービーメダル]]、1955年に[[ロイヤル・メダル]]、1970年に[[コプリ・メダル]]を受賞。1978年には[[ロシア科学アカデミー]]から[[ロモノーソフ金メダル]]を受賞した
 
このほか、[[1952年]]から[[1964年]]まで英国化学政策諮問委員会の委員であり、[[1963年]]から[[1978年]]までクライスツ・カレッジの学寮長の座にあった。1954年に[[ナイト]]に叙任されて「サー」の称号を受け、[[1962年]]には[[一代貴族]]爵位「[[ケンブリッジシャー]]・[[トランピントン]]のトッド男爵」に叙された<ref>{{LondonGazette |issue = 42633 |date = 27 March 1962 |startpage = 2587 |supp = yes |accessdate = 2011-12-14 }}</ref>。[[1975年]]に[[メリット勲章]]を受章。また、英国[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]の評議員であった{{要出典|date=2011-12}}。1997年に[[ケンブリッジ]]郊外のオーキングトン (Oakington) で没。89歳であった。
 
妻アリソン・サラの父は、トッドと同じくノーベル賞受賞者の[[ヘンリー・ハレット・デール]]である。
 
== 受賞歴 ==
*1949年 [[デービーメダル]]
*1955年 [[ロイヤル・メダル]]
*1957年 ノーベル化学賞
*1962年 [[パウル・カラー記念講座|パウル・カラー・ゴールドメダル]]
*1970年 [[コプリ・メダル]]
*1978年 [[ロモノーソフ金メダル]]
 
== 出典 ==