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→‎政治経歴: 『現代の鎖国アルバニア』174ページに基づき加筆
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ホッジャは1985年4月11日に死去した。{{没年齢|1908|10|16|1985|4|11}}。なお、ホッジャの後を継いだのは[[ラミズ・アリア]]だった。
 
葬儀に際してはホッジャの遺言により外国政府の弔問は[[弔問外交]]の場になるとしてことごとく拒否され、ソ連からの弔電は突き返された。外国人ジャーナリストの入国は許可されず、葬儀に招かれた外国の代表は、ティラナ駐在の[[フランス]]と[[北朝鮮]]の外交官だけであった。
 
ホッジャの死後、後継者のアリアの下でアルバニアは内政および外交における開放が進むことになった。[[東ヨーロッパ]]における共産主義の退潮が鮮明になるとともに、アルバニアも[[1990年]]に一党独裁を放棄し、アルバニア労働党は[[アルバニア社会党|社会党]]へと改名したが、[[1992年]]の選挙では大敗することとなった。