「ジーン・アムダール」の版間の差分

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[[IBM]]においてアムダールは「[[IBM 704]]」、「[[IBM 709]]」、そして[[IBM 7030]]すなわちストレッチ・プロジェクトに携わった。彼は1955年12月、IBMを一旦退職し、ラモ・ウッドリッジ、そしてアエロニュートロニックで開発に従事した後、1960年9月復職している。復職後、彼は[[System/360]]ファミリー・アーキテクチャーの開発に従事した。1965年IBMフェローに就任し、カリフォルニア、メンロ・パークの[[ACS]]研究所の主任に就任した。
 
[[System/370]]の開発中に自身の提案が却下されると、1970年再び同社を退職し、カリフォルニア州サニーバレに[[アムダール]]社を創設した。アムダールは同じ頃IBMプラグコンパチブルマシンの開発に踏み切った[[富士通]]と提携し、IBMプラグコンパチブルマシンの開発を始めた。
 
富士通からの多大な支援もあって、1975年、アムダール[[470-V6]]は出荷された。IBM機より低額で、信頼性が高く、より高速な代替品として提供されたものである。1970年に独占禁止法によりIBMが「アンバンドリング」すなわちハードウェアとソフトウェアを別々に売ることを強いられていたこともアムダールに味方した。アムダール470とサード・パーティの製造会社が提供する互換周辺機器を購入することによって、顧客はIBMのハードウェアを購入せずに、IBMの[[System/360]]・[[System/370]]のアプリケーションを利用できることになった。