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'''ポンペイの壁画の様式'''
▲'''ポンペイの壁画の様式'''(ポンペイのへきがのようしき、英:Pompeian Styles)は'''ポンペイ四様式'''とも呼ばれる。[[ポンペイ]]の壁画に代表される古代ローマの壁面装飾はおおまかに時代ごとの四つの様式に分けることができる。この分類は現存する古代ローマの壁画の最大のグループを成すポンペイの壁画の発掘を行ったドイツの考古学者A・マウによって提唱された。この壁画の様式によって、研究者達は西暦79年の[[ベスビオ火山]]の噴火に先立つ数世紀の建物や建物の装飾の時代を区別することができた。様式の変遷に見られるギリシアの写実的で現実と錯覚を起こさせるような傾向とイタリア的な伝統やオリエントの影響である装飾的な傾向の相克に注目することは重要である。
== 第一様式 ==
[[ファイル:Herculaneum Wall 1.Style.jpg|thumb|right|第一様式のフレスコ画、[[ヘルクラネウム]]]]
「第一様式」または「漆喰装飾様式」、「外被様式」、「被石様式」などと呼ばれるこの様式は前2世紀から前80年頃にかけて見られる。第一様式は大理石を模して[[トロンプ・ルイユ]]的な効果を狙うことに特徴付けられる。大理石のほかにも吊り下げられた[[アラバスター]]の円盤が縦に並んだ様子や、黄色い木製の梁や白い支柱や軒を模した例がある。この様式はエジプトの[[プトレマイオス朝]]の宮殿を模倣したもので、モデルとなった宮殿では本物の石や大理石が壁に嵌め込まれていた。この時代にローマがギリシアや[[ヘレニズム]]諸国と交流もしくは征服したことにより広がったヘレニズム文化の広がりを反映している。
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ポンペイのウェッティの家に第四様式の作例を見ることができる。
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[[Category:古代ローマの文化]]
[[Category:西洋美術史]]
[[cs:Starověké římské malířství]]
[[de:Römische Wandmalerei]]
[[es:Pintura de la Antigua Roma]]
[[nl:Romeinse schilderkunst]]
[[pt:Pintura da Roma Antiga]]
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