「アルベール2世 (ベルギー王)」の版間の差分

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=== アルベール2世 ===
[[1993年]][[7月31日]]、[[スペイン]]南部に滞在中だった兄ボードゥアン1世が、[[心不全]]により死去した。同年[[8月9日]]、リエージュ公アルベールは新国王アルベール2世として即位した。アルベールが先代の国王たちと違ったのは、オランダ語系住民とフランス語系住民の対立([[言語戦争]])が続いたため、1993年に[[#ベルギーの地方行政区分|フラマンとワロンとの区分]]を主とする]][[連邦制]]に移行したことで、連邦国家の王となったところである。[[1994年]][[2月17日]]に新憲法に署名した。アルベール2世はドイツ語を含めた3つの言語の理解を促進、地域融和を訴える。彼は[[人種差別]]や[[排外主義]]をスピーチの中で定期的に非難し、積極的に機会均等と人種差別との闘いのためのセンターや多文化社会支援団体のサポートをしている。即位以来、極右主義的な人間ないし、彼の意図に反する人間を王宮のレセプションに招待していない。また、第一次世界大戦終結の祝祭日である11月11日に毎年式典を主宰し、ベルギーの全国慰霊委員会など様々な愛国団体を支援している。[[EU]]の取り組みにも支持を表明している。
 
アルベール2世は宗教的な価値観に囚われず、自らの信仰とは別に議会の決定を尊重するとしている。兄が[[妊娠中絶]]法案に反対したのとは違い、[[安楽死]]や[[同性婚]]を認める法案に署名している。