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'''夏樹 静子'''(なつき しずこ、本名:出光 静子<ref name="tenshi">{{Cite |和書|author = [[郷原宏]]【解説】 |title = [[天使が消えていく]] |date = 1999-04-20 |publisher = [[光文社]] | pages = 316-322 |series = [[光文社文庫]] |ref = harv }}</ref><ref name="YOMIURI20160321">{{Cite news | title = 作家の夏樹静子さん死去…「Wの悲劇」「蒸発」| newspaper = [[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]| date = 2016-03-21| url = http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160321-OYT1T50019.html| accessdate = 2016-03-23}}</ref>(いでみつ しずこ)、[[1938年]][[12月21日]] - [[2016年]][[3月19日]]<ref name=asahi>{{Cite web|url = http://www.asahi.com/articles/ASJ3P0322J3NTIPE00Z.html |title=作家の夏樹静子さん死去 「蒸発」「Wの悲劇」 77 77歳|publisher = [[朝日新聞]]|accessdate = 2016-03-21}}</ref>)は、[[日本]]の[[小説家]]、[[推理作家]]。旧姓名の'''五十嵐 静子'''名義による作品もある。
 
{{要出典範囲|兄は[[小説家]]でミストラル社長の[[五十嵐均]]|date=2016年3月}}。夫である[[新出光]]社長の[[出光芳秀]]<ref name="YOMIURI20160321" />(いでみつ よしひで、[[1937年]][[4月26日]] - )は{{要出典範囲|[[出光佐三]]の甥。長男は[[俳優]]の[[出光秀一郎]]|date=2016年3月}}
 
== 来歴・人物 ==
[[東京府]](現[[東京都]])生まれ。[[慶應義塾大学]]英文学科卒<ref>{{Cite interview|subject=夏樹静子|interviewer=大島一洋|url=http://job.rikunabi.com/2011/media/sj/work/business/business_vol10.html|title=『見えない貌』の夏樹 静子さん|date=2006-07-26|program=[[トーハン|e-hon]]|accessdate=2016-03-23}}</ref>。[[1960年]]、大学在学中に'''五十嵐静子'''名義で執筆した「すれ違った死」が[[江戸川乱歩賞]]候補となり、それがきっかけで[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]の推理クイズ番組『[[私だけが知っている]]』のレギュラーライターに抜擢され、以後3年間で約30本の脚本を執筆する<ref name="tenshi" /><ref name="tsutaya">{{Cite web| title = 夏樹静子 アーティストページ| publisher = [[TSUTAYA]]| url = http://www.tsutaya.co.jp/artist/00703476.html| accessdate = 2014-03-14}}</ref>。この番組には[[鮎川哲也]]、[[島田一男]]、[[土屋隆夫]]ら、のちの巨匠作家(当事は中堅、新進クラス)が多く脚本で参加しており<ref name="tenshi" />、その顔ぶれの豪華さもあって後年脚本集なども出版されている。[[1962年]]3月、'''夏樹しのぶ'''名義で短編「赤い造花」を『[[女学生の友]]』増刊号に<ref name="tenshi" />、同年6月に中篇「ガラスの鎖」<ref group="注釈">のちに「影の鎖」と改題された。</ref>を『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』に発表<ref name="tsutaya" /><ref>{{Cite |和書|author = 中島河太郎【解説】 |title = [[天使が消えていく]] |date = 1975 |publisher = [[講談社]] | page = 296 |series = [[講談社文庫]] |ref = harv }}</ref>。[[1961年]]秋には[[仁木悦子]]、[[戸川昌子]]らと女流推理小説作家の会「霧の会」を結成し、名実ともに女流作家の仲間入りを果たすが<ref name="tenshi" />、[[1963年]]、大学卒業後すぐに結婚して<ref name=houterasu>{{Cite web|url = http://www.houterasu.or.jp/houterasu_gaiyou/kankoubutsu/kouhoushi_interview_backnumber/2009fuyu.html |title=広報誌「ほうてらす」Vol.7 冬号 インタビュー|publisher = [[日本司法支援センター|日本司法支援センター(法テラス)]]|accessdate = 2013-01-10}}</ref>[[福岡市]]に移り住んだため早くも作家への道を諦め、主婦業に専念することとなる<ref name="tenshi" />。その後4年ほどは執筆のことなど忘れたように過ごしたが、ある日自分の長女を胸に抱いていた時、人生経験がほとんどない自分が唯一実体験できた”母と子のありさま”を書いてみたいという突然の衝動を覚え、『[[天使が消えていく]]』を執筆<ref name="tenshi" />。[[1969年]]、'''夏樹静子'''名義でこれを応募したところ第15回江戸川乱歩賞の最終候補に残り、再び注目される<ref name=yomiuri>{{Cite web|date=2011-05-06|url=http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=40681|title=【これからの人生】囲碁 愉快になれる時間|publisher=[[YOMIURI ONLINE|yomiDr.(YOMIURI ONLINE)]]|accessdate=2013-01-10}}</ref>。同年10月、長男を出産<ref name="tenshi" />。[[1973年]]、『蒸発』で第26回[[日本推理作家協会賞]]を受賞<ref name="YOMIURI20160321" />。『第三の女』は仏訳され、[[1989年]]、第54回[[フランス犯罪小説大賞]](ロマン・アバンチュール大賞)を受賞<ref name="YOMIURI20160321" />。中国語訳『蒸発』『Wの悲劇』は、北京探偵推理文芸協会賞の翻訳作品賞を受賞(1998年、2001年)。
 
シリーズ作品として「[[検事 霞夕子]]」シリーズや「[[弁護士 朝吹里矢子]]」シリーズなどがあり<ref name="YOMIURI20160321" />、これらのシリーズは短編集として刊行されたもので、テレビドラマ化もされている。
 
[[エラリー・クイーン]]に私淑しており、親交があった。1982年にはクイーンへのオマージュ作ともいえる作品『[[Wの悲劇]]』を刊行。クイーンの作品『[[Xの悲劇]]』『[[Yの悲劇]]』『[[Zの悲劇]]』をもじったタイトルで、事前にクイーンに許可を求めた上で書いたものである。『Wの悲劇』は、[[薬師丸ひろ子]]主演で映画化され話題を呼んだ(ただし、映画は夏樹静子の『Wの悲劇』を舞台で演じている女優がスキャンダルでのし上がっていくというオリジナル・ストーリーであった)。夏樹も約300本ある自身の作品の中で、指折りのミステリーと自負している<ref>{{Cite web|url = http://www.tbs.co.jp/w-higeki/comment.html |title=TBS「夏樹静子・作家40年記念サスペンス特別企画『Wの悲劇』夏樹静子さんインタビュー|publisher = [[TBSテレビ|TBS]]|accessdate = 2013-01-10}}</ref>。