「鈴木俊光」の版間の差分

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== 人物 ==
*趣味は写真、ビデオカメラ、日曜大工。
*息子[[鈴木裕士]]は元[[長崎放送|NBC]]アナウンサーで、現在は[[東日本放送|KHB]]のディレクター。
 
平成10年の大晦日、NBCの生深夜番組でレポーターをつとめる息子と早朝番組担当の為準備中の父俊光アナがTBCのオールナイト番組中に引っ張り出され親子競演となる。NBCのディレクターの呼びかけで実現したもの。
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2010年3月31日をもって東北放送を退社したが、その後はラジオを中心にニュース等の担当は続ける。
 
1972年(昭和47年)当時担当していたサテスタ番組「スタジオ緑屋7」で、ラジオ初の「素人カラオケ番組」を制作、大人気を博す。
「カラオケ」がまだ業界用語だった頃だ。歌手のキャンペーン用のカラオケテープを所属レコード会社、事務所から取り寄せ使用。著作権
に対してまだ緩い時代の事。その後一般向けにカラオケ機器が普及しだす。
同じ頃担当の深夜番組「AMO東北ヒットパレード」では、TV「8時だよ全員集合」の人気コーナー、加藤茶さんの「ちょっとだけよ」で
流れるペレスプラード楽団の「タブー」を紹介。たちまちランクインする。「タブー」の権利を持っていたビクターは廃盤になっていた
「タブー」を「ちょっとだけよタブー」として全国発売、ヒットする。
 
2011年3月11日 東日本大震災の際、TBCラジオで大地震、大津波来襲の第一報を伝える。女川港の定点カメラからの住宅が流される様子、仙台空港に押し寄せる津波の様子を実況する。これを聞いていた多くの人が避難し難を逃れた。