「米比相互防衛条約」の版間の差分

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なお、1954年から1977年にかけては、反共主義の集団防衛機構として[[東南アジア条約機構]]も設置されていた。
 
== 冷戦から対テロ戦争、対中警戒へ ==
この体制は、[[1989年]]の冷戦終結から[[1991年]]末の[[ソ連崩壊]]によって見直しが図られる。緊張緩和による米軍兵力の削減と、1991年の[[ピナトゥボ山]]大噴火によって基地が被災したこともあり、基地協定は期限延長されず、両政府間で在比米軍の撤退が決定した<ref name="fukuda2010"/>。まず[[クラーク空軍基地]]から撤収を始め、[[1992年]]に[[スービック海軍基地]]からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響は著しく減少した。また、[[ビル・クリントン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が軍事費削減を政策としたため、[[1995年]]を最後に米比共同の[[軍事演習]]も取りやめとなった。
 
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[[2001年]]に[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生すると、同年1月に就任した[[グロリア・アロヨ]]比大統領はクラーク・スービック両基地の再使用を承認し、アメリカの[[対テロ戦争]]に協力した。また、[[2000年]]半ばから[[マニラ]]などで頻発していた[[爆弾]][[テロリズム|テロ]]を[[イスラム原理主義]]過激派「[[アブ・サヤフ]]」による犯行と見ていたアロヨは、軍による掃討作戦を行っていたが、米軍もこれに参加して陸軍特殊部隊などが[[ミンダナオ島]]などで軍事活動を行っている。
 
[[南沙諸島埋め立て問題|中国が軍事拠点としての利用を視野にスプラトリー諸島の小島や暗礁を埋め立て]]たことなどから、米比両国は2016年3月、米軍がフィリピン国内の5基地を利用する協定を結んだ。[[パラワン島]]のアントニオ・バウティスタ空軍基地、[[ルソン島]]のバサ基地やフォート・マグサイサイ基地などが対象である<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/DA3S12267387.html|title=米、比の5基地使用 南シナ海の中国念頭|work=|publisher=[[朝日新聞]]|date=2016年3月20日}}</ref>。
 
== 脚注 ==