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その後、[[エイゼンシュテイン・モンタージュ]]は、[[共産主義]]における[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]の[[質的弁証法]]の応用として、[[ソ連]]およびフランスの[[左翼]]思想家において支持され、同様に、左翼シンパの多かった日本の映画業界においても、映画編集理論の主流とされた。たとえば、[[小津安二郎]]は代表作『[[東京物語]]』において[[別撮り]]の[[カット・バック]]を多用している。[[バンク]]を用いる日本の[[アニメ]]もこの系統に属する。また、理論的には、[[メッツ]]らの[[映像記号論]]に継承されて研究されていく。
 
また、[[グリフィス・モンタージュ]]は、当初は多大な撮影予算がかかるために敬遠されてきたが、日本の[[黒澤明]]が代表作『[[七人の侍]]』の戦闘シーンでそのすごみを見せつけた。当初、記録媒体を持たなかったテレビも、複数のカメラで同時撮影し、[[サブ]](副調整室)における[[スィッチング]]で同時編集していくため、このスタイルを採ることが多かった。おりしも[[ロシア革命]]と[[スターリニズム]]から大量亡命でスタニスラフスキーの演出論は、戦後、故国[[ソ連]]よりも米国で定着し、[[マーロン・ブランド]]などの俳優に大きな影響を与えていた。[[フランシス・フォード・コッポラ]]はあくまでエイゼンシュテイン・スタイルを好んだが、その次世代の[[スティーン・スピルバーグ]]らは、黒澤の感化を受けてグリフィス・スタイルを多用し、今日、[[デジタル撮影]]の普及もあって、これがハリウッドの標準編集形態となっている。
 
[[中条省平]]はフラッシュバックに力点をおく「リズミカルなモンタージュ」は、大正末期の日本映画で大流行し、乱用される傾向があった。時代劇の剣戟場面にも激しいフラッシュバックが応用され、のちに「チャンバラ・モンタージュ」とさえ呼ばれたという<ref>(『フランス映画史の誘惑』[[集英社新書]] 2003年p.66)。</ref>。