「グスタフ・ホルン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Æskja (会話 | 投稿記録)
+{{出典の明記}}、強調トル、DEFAULTSORT→デフォルトソート、ソートキー修正、画像位置等修正
4行目:
== 生涯 ==
[[ファイル:GustafHorn.jpg|thumb|250px|right|グスタフ・ホルン]]
[[1625年]]、ホルンは[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]]の[[枢密院]]に入った。[[1628年]]、スウェーデン軍の[[陸軍元帥]]となった。[[1630年]]、スウェーデンは[[三十年戦争]]に参戦し、ホルンはグスタフ・アドルフとともにドイツに上陸し、同年[[コルベルク]]{{要曖昧さ回避|date=2016年4月}}[[要塞]]を攻略した。その後、一軍を委ねられたホルンは、[[フランクフルト・アン・デア・オーダー]]に侵攻した。[[1631年]]、[[ブライテンフェルトの戦い (1631年)|ブライテンフェルトの戦い]]ではスウェーデン軍の左翼を指揮し、勝利に貢献した。
 
[[1632年]]、[[リュッツェンの戦い (1632年)|リュッツェンの戦い]]でグスタフ・アドルフが戦死すると、[[アクセル・オクセンシェルナ]]によってホルンはスウェーデン軍の指揮を任された。しかし、同僚の[[ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル]]と意見が合わず、両者は何度か対立した。[[1634年]][[9月6日]]、[[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]]では、この両者の対立が敗因の一つとなった。この戦いで、スウェーデン軍は壊滅的な打撃を被り、ホルンは皇帝軍に捕らえられた。ホルンが捕虜交換で解放されたのはようやく[[1642年]]のことであった。