「カトリック教会」の版間の差分

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プロテスタンティズムというのは、その根本に『聖書』を文字通りに解釈する方針を含んでいる(注 - [[:en:Five solae]] [[五つのソラ]])。だから『聖書』の記述と矛盾する説に対しては非常に批判的となる。</ref><ref>注 - ガリレオは、同時代の学者に対して、不必要なまでに自著で批判して喧嘩を売ったり、権力者の機嫌もそこねるようなことも繰り返し、彼らを敵にまわしてしまうようなことを繰り返していたため、結果として当時の貴族や権力者たちから選出される教皇まで政治的に巻き込まれて、彼の説を禁止せざるをえなくなった、といういきさつがある。(マリアーノ・アルティガス『ローマのガリレオ:天才の栄光と破滅』大月書店, 2005)</ref><ref>ところが、後の時代の、プロテスタント信者の科学者などによって、ことさらカトリックを悪者にしようと、自分たちに都合よく話をねじまげてまことしやかに語ることが横行した。また19世紀、科学者たちは世の中の人々から価値をあまり認められておらず、彼らは何とか社会的に認めてもらいたいという政治的な意図から、勧善懲悪的に自分たちが悪と闘う善人であるかのようなフィクションを作って語ること(一種の[[偽史]]を語ること)をしばしば行われるようになった。その結果、歴史資料が実際に示すのとは異なる、そうした嘘のストーリーが世間に、自然科学者の間でまことしやかに流布するようになったのであり、現代でも彼ら自然科学者は若い人たちにそうした嘘を語りたがる。</ref>。本当は、ガリレオ・ガリレイは熱心なカトリック信者であった。だから娘を若いうちに修道院に入れたのであった。-->
 
[[啓蒙主義]]者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。[[フランス革命]]では[[マクシミリアン・ロベスピエール]]が宗教を廃止し、「[[理性]]」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、[[21世紀]]においても(プロテスタントの[[キリスト教右派|保守]]的な教会同様に)[[胎児]]も含めた、かけがえのない[[生命]]を尊重するという崇高な理念に基づき[[人工精]]や[[妊娠中絶]]、[[避妊]]、[[同性愛]]、[[胚性幹細胞|ES細胞]]研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派や[[プロライフ]]の関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。一例として[[マンハッタン宣言]]を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"[[教条主義]]"とも揶揄されている{{誰|date=2010年7月}}。
 
なお、プロテスタントや[[聖公会]]の中には“教会内における[[女性]]の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは[[男性]]信者に限られている。[[フェミニスト]]はこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「[[女性差別]]」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。