「ラヴィ・シャンカル」の版間の差分

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{{listen | filename = | title = ラヴィ・シャンカルによるシタール演奏 | description = [[ラーガ]]『{{仮リンク|マドゥヴァンティ|en|Madhuvanti}}』}}
*日本に在住していたシタール奏者[[チャンドラカント・サルデーシュムク]]は、彼の内弟子である。[[1963年]]、彼を驚嘆させたチャンドラカントは当時8歳の少年だった。
*元[[ビートルズ]]のメンバー、[[ジョージ・ハリスン]]とも交流があった。現にビートルズ時代には、ジョージ・ハリスンの[[シタール]]の師でもあった。[[1971年]]にはジョージ・ハリスンや[[リンゴ・スター]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]らに呼びかけて[[バングラデシュ]]の[[飢饉]]のために開いたチャリティーコンサート(The concert for Bangladesh)([[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で開催された)でも、共に参加している。なお、この時にジョージ・ハリスンと再会した際、ジョージはインド風の服装で来印し、シャンカル自身は西洋風の服装で出迎えたという。また、[[2002年]]に行われたジョージの追悼コンサートにも娘アヌシュカーと共に参加している。
*[[ジャン=ピエール・ランパル]]や[[ユーディ・メニューイン]]といった[[西洋音楽]]の奏者との共演も積極的に行い、シタール協奏曲も作曲している。また[[フィリップ・グラス]]にも大きな影響を与えたことで知られている。他にも[[尺八]]奏者[[山本邦山]]、[[箏]]奏者[[宮下伸]]と共演している。