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== 概要 ==
島田市での伝承によれば、[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]の[[番鍛冶]]を務め[[京都]][[五条]]に居を構えた、[[備前国|備前]][[福岡一文字|一文字]][[助宗]](五条助宗)を祖とするという。助宗が駿州嶋田に移住して、その子孫が[[正安]]年間に[[正宗|五郎入道正宗]]の教えを受け初代義助となり、四代義助が[[駿河国|駿河]]守護[[今川義忠]]に召し抱えられた。ただし、義助の名は義忠の一字を拝領したものと考えられ、実際はこれが初代と推測されている。
 
義助を襲名した者は三代か四代か諸説あるが、初代が[[康正]]、二代は[[永正]]、三代が[[天文 (元号)|天文]]年間頃の時期で、四代とされる者は[[天正]]年間頃となる。[[]]の名工としても知られ、[[天下三名槍|天下三槍]]の一つ[[御手杵]]の槍は四代義助の作とされる。
 
[[室町時代]]後期の[[連歌師]]、[[宗長]]法師は義助の子である。
 
島田派一門には助宗、広助、義綱、元助などがいる。初代義助の弟は助宗を名乗り、[[明応]]年間頃から三代があり、島田助宗として知られる。