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'''PWFヘビー級王座'''(ダブリュだぶりゅエフえふ ヘビへびーきゅうおうざ)は、日本における[[プロレス]]の王座のひとつ。[[PWF]]([[全日本プロレス]])が管理する[[ヘビー級]]の[[チャンピオンベルト|フラッグシップタイトル]]である。現在旧称[[三冠、'''世界ヘビー級王座]]を構成する3本のベルトの'''(せかいへびーきゅちの一つであるうおうざ)、'''PWF認定世界ヘビー級王座'''(ぴーだぶりゅーえふにんていせかいへびーきゅうおうざ、略称:PWF世界ヘビー級王座)
 
現在は[[三冠ヘビー級王座]]を構成する3本のベルトのうちの一つである。
 
== 解説 ==
[[1972年]]に、[[力道山]]の死後、百田家に保管されていた[[インターナショナル・ヘビー級王座|インターナショナル・ヘビー級選手権]]及びWWA世界ヘビー級選手権のベルトとして使用されていた[[チャンピオンベルト]](通称・力道山ベルト)が、全日本プロレスを創立して間もない[[ジャイアント馬場]]に寄贈された。
 
これを受け、全日本プロレスでは力道山ベルトを「'''世界ヘビー級選手権'''」のベルトとして使用することを決め、その王座争奪戦を開催した。
 
この新設王座争奪戦は、ジャイアント馬場と[[ブルーノ・サンマルチノ]]、[[テリー・ファンク]]、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]、[[ザ・デストロイヤー]]、[[ウイルバー・スナイダー]]、[[ドン・レオ・ジョナサン]]、[[パット・オコーナー]]、[[ボボ・ブラジル]]の8選手による勝ち抜き[[番勝負|十番勝負]]という形で行われ、馬場が8勝2引分けという成績を収め(最初の対戦で引き分けたサンマルチノ、スナイダーには再戦で勝利)、初代世界ヘビー級選手権者となる。全日本プロレスが[[ハワイ州]][[ホノルル]]を本部とする[[PWF]](Pacific Wrestlimg Federation)設立を設立し、初代会長には馬場と旧知の仲であったハワイのプロモーターの[[ロード・ブレアース|ロード・ジェームス・ブレアース]]が就任した。
 
そして、世界ヘビー級王座を'''PWF認定世界ヘビー級王座'''と改め、馬場が自らその初代王者となった。途中[[1974年]]に、[[NWA (プロレス)|NWA]]の勧告により「世界」の文字を外して'''PWFヘビー級王座'''となった(NWAは傘下の各団体に「[[NWA世界ヘビー級王座]]以外の世界王座を作ったり認定したりしないこと」を求めているため)。
 
初代王者の馬場は[[ザ・シーク]]、ブッチャー、オコーナー、[[ドリー・ファンク・ジュニア]]、[[ハーリー・レイス]]、[[フリッツ・フォン・エリック]]、[[ジン・キニスキー]]、[[ペドロ・モラレス]]、[[ビル・ロビンソン]]、[[プロフェッサー・タナカ]]、[[ディック・マードック]]、[[ブラックジャック・マリガン]]、[[クリス・マルコフ]]、[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]、[[オックス・ベーカー]]、[[ワフー・マクダニエル]]、[[キラー・カール・コックス]]、[[ケン・パテラ]]などを退けて38回連続防衛(これは今でも日本プロレス史上の最多連続防衛記録である)を果たしたほか、[[ジャック・ブリスコ]](NWA)、ブルーノ・サンマルチノ([[WWE|WWWF]])、[[大木金太郎]]([[アジアヘビー級王座|アジア]])の各王者との[[ダブルタイトルマッチ]]も行った。