「マイケル・マクドナルド (ミュージシャン)」の版間の差分

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[[ミズーリ州]][[セントルイス]]生まれ。高校の頃からバンド活動を始める。ブルーというバンドにいたころに[[RCAレコード]]に見出され、[[1970年]]にロサンゼルスに移住、セッションミュージシャンとして活動を始める。[[1974年]]に[[スティーリー・ダン]]にツアーメンバーとして参加、『[[うそつきケイティ]]』でもバックボーカルを務めた。
 
[[1975年]]、[[ジェフ・バクスター]]の誘いを受け、病気のために一時的にバンドを離れた[[トム・ジョンストン]]の代役として[[ドゥービー・ブラザーズ]]に加入、ツアーを行う。マクドナルドの加入により、ドゥービーはそれまでのファンキーなギターロックからソウルフルで都会的な[[AOR]]に音楽性を転換する。[[1978年]]の『[[ミニット・バイ・ミニット (アルバム)|ミニット・バイ・ミニット]]』、[[ケニー・ロギンス]]と共作した「[[ホワット・ア・フール・ビリー]]」は全米1位を記録、[[グラミー賞]]の最優秀アルバム、最優秀楽曲を受賞し、マクドナルドの名声を高めた。
 
ドゥービー・ブラザーズが活動を停止した[[1982年]]にソロアルバム『思慕(ワン・ウェイ・ハート)』を発表、「アイ・キープ・フォーゲッティン」のヒットを生む。[[1983年]]に発表された[[ジェームス・イングラム]]とのデュエット曲「ヤー・モ・ビー・ゼア」は、グラミー賞最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞し、ソロ転向後としては初のグラミー受賞を果たした<ref>[http://www.allmusic.com/artist/michael-mcdonald-mn0000459616/awards Michael McDonald | Awards | AllMusic]</ref>。[[1986年]]にはパティ・ラベルとのデュエット曲「オン・マイ・オウン」を大ヒットさせる。個性的ながらソウルフルかつ甘い歌声から、この当時は「女性歌手が最もデュエットしたい男性歌手」といわれる存在であった。