「明治図書出版」の版間の差分

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* [http://www.meijitosho.co.jp/gakusan/kyozai/matome/seitai.html 整理と対策シリーズ]
* [http://www.meijitosho.co.jp/gakusan/sho/#gotouchi ご当地キャラドリルシリーズ]
 
== 創業時代、教育書出版のはじまり ==
1912年(明治45年)2月、京都府で教師をしていた藤原惣太郎が、歴史教育に興味を持ち、7年間かけて完成させた『日本歴史地図・九十二軸』が原点。
 
後に東京高等師範学校長となる[[三宅米吉]]の他、高名な歴史教育学者に好評を博し、藤原惣太郎はこれを背負って単身上京。同年6月に『日本歴史地図・二十軸』として刊行にいたった。価格は15円であったが、当時の米四俵分の相場にあたる。これが軌道に乗り、周囲の助言もあり、藤原惣太郎は教育図書専門の出版社としての出発を決意する。
 
続いて出版された、[[東京高等師範学校]]の[[田村虎蔵]]による「唱歌教授書」の好評により、明治図書の名が教育界に知れ渡る。
 
創業当初の主力商品は、四高師([[東京高等師範学校]]、[[東京女子高等師範学校]]、[[奈良女子高等師範学校]]、[[広島高等師範学校]])付属の先生や、大学の売れっ子教授、助教授の著書であった。
 
1913年(大正2年)、中央区へ移転。
 
1918年(大正7年)、株式会社へ変更(明治図書株式会社)。
 
1923年(大正12年)9月1日、[[関東大震災]]に見舞われ、小売店を兼ねていた事務所や6か所の倉庫が焼け野原と化す。しかし従業員が皆無事であったこと、全国の友好取引店の資金的協力、印刷工場の新設などにより、復興を遂げた。取引店の協力に触れ、藤原惣太郎は「明治図書五十年史」にて『人の真なる心は、苦難を受けたその時に判るとは金言であり、じつに至言であるとこの時ほど思ったことはありませんでした』と語っている。他、創業当初に印刷所の管理を2年間兼ねていたことなど、種々の好条件が重なり、関東大震災からの復興は比較的順調に進んだ。
 
 
== 外部リンク ==