「芦田惠之助」の版間の差分

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彼の立場は、今の言い方でいえば「自由作文」、当時は「随意選題」といった。これは同時代、[[ドイツ]]の[[ハンブルク]]を中心に展開された芸術教育運動の中の[[作文教育]]で提唱されたものとほとんど時を同じくしたものである。
 
いわゆる[[芦田教式]](七変化(しちへんか)の教式とも呼ばれる)を創始。小学校国語教育に多大な影響を与える。影響を与えた人物に埼玉県の綴方教育の先導者となった[[下山懋]]がいる。
 
[[尋常小学唱歌]]「[[日本海海戦#唱歌]]」を[[作詞]]。