「モーリス・ラヴェル」の版間の差分

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ラヴェルは、また、[[リヒャルト・ワーグナー]]の楽曲に代表されるような宗教的テーマを表現することを好まず、その代わりにインスピレーション重視の古典的[[神話]]に題を取ることをより好んだ。
 
[[ピアノ協奏曲 (ラヴェル)|ピアノ協奏曲ト長調]]について、ラヴェルは、[[ォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]および[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]の協奏曲がそのモデルとして役立ったと語った。彼は1906年頃に協奏曲『Zazpiak Bat』(「バスク風のピアノ協奏曲」。直訳だと「7集まって1となる」というバスク人のスローガン)を書くつもりであったが、それは完成されなかった。ノートからの残存や断片で、これがバスクの音楽から強い影響を受けていることを確認できる。ラヴェルはこの作品を放棄したが、かわりにピアノ協奏曲など他の作品のいくつかの部分で、そのテーマとリズムを使用している。
 
ラヴェルは、「[[アンドレ・ジェダルジュ]]([[:fr:André Gedalge|André Gedalge]])<ref>ラヴェルのパリ音楽院時代の対位法及び和声学の恩師。</ref>は私の作曲技術の開発において非常に重要な人でした」とコメントしている(ジェダルジュは対位法教程を残した最初期の作曲家でもある)。