「ディオゲネス (犬儒学派)」の版間の差分

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*ディオゲネスは、[[アテナイ]]にやってくると、ソクラテスの弟子であった[[アンティステネス]]に弟子入りを願った。アンティステネスは弟子を取らないことにしていたので断ったが、ディオゲネスはしつこく頼み込んだ。アンティステネスが怒って杖で頭を殴ろうとすると、ディオゲネスはこう言った。
: 「どうぞ殴ってください。木は私を追い出すほど堅くありません」
: ディオゲネスは、アンティステネスの弟子になった。師の「[[徳]]」に対する思想を受け継ぎ、物質的快楽をまったく求めず、粗末な上着のみを着て、頭陀袋ひとつを持って乞食のような生活をした。
* 外見にまったく無頓着だった。住むところも気にせず、神殿や倉庫で寝て「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言った。あるときは酒樽(大甕)に住んだ。
* 広場で物を食べているところを人が見て「まるで犬だ」と罵られたので、「人が物を食っているときに集まってくるお前たちこそ犬じゃないか」と言い返した。
* 道ばたで公然と[[自慰]]行為に及んだ。「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。こんなによいことは他にない」 「[[食欲]]もこんなふうに簡単に満たされたらよいのに」と言った。
* 高級娼婦として名をはせていた[[フリュネ]]は、ディオゲネスの精神を高く評価しており、無償でディオゲネスを客にとった。
*[[紀元前336年]]、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]がコリントスに[[将軍]]として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。ディオゲネスは、体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。
* [[オリンピア (ギリシャ)|オリンピア]]で優勝した[[闘技士]]が美しい女を振り返り見る様子を見て、「偉大な闘技士が小娘に首を捻じ上げられているよ」とからかった。