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=== サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 ===
[[File:- Fordongianus Thermes+.JPG|thumb|right|250px|ローマ時代の風呂遺跡]]
[[紀元前8世紀]]から、Tharros(ターロス)、Bithia(ビティア)、Sulcis(スルシス)、Nora(ノーラ)、Karalis(カラリス、現在のカリャリ)と、[[フェニキア]]人が都市や砦をいくつもサルデーニャに築いた。フェニキア人は[[レバノン]]の出身で、地中海で交易を行っていた。彼らは島のあらゆるエリアに定住した。サルデーニャは[[カルタゴ]](現在の[[チュニジア]])、[[スペイン]]、[[ローヌ川]]([[フランス]])、[[エトルリア]]([[イタリア半島]])の間にあったため、西地中海の中心として特別な地位を獲得していた。[[イグレージアス]]周辺の鉱物地帯は、[[鉛]]や[[亜鉛]]の産地として重要であった。都市は防御しやすく天然の港になる、多くは河口に近い半島部や島のような、戦略上の重要な地点に造られた。フェニキア人ののちに、[[紀元前500年]]ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した。カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる。