「諸葛瑾」の版間の差分

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==人物==
諸葛瑾の人となりはりっぱな容貌にくわえて思慮と度量があり、同時代の人間はその寛容さと奥ゆかしさに敬服していた。孫権は「瑾、瑾」と彼を特に重用していた、大事があると訪問して意見を求めた。「江表伝」によると、孫権と諸葛瑾の関係は「神交」(精神の交)であった
 
[[張承 (孫呉)|張承]]・[[歩隲|歩騭]]・[[厳シュン|厳畯]]とは古くからの付き合いがあり親友であった。歩騭・厳畯とは、[[江東]]に避難してきた時に同行して以来の親友であり(「歩騭伝」が引く『呉書』)、また張承の後妻として娘を嫁がせている。頴川の周昭はこの4名と[[顧邵]]について、書物を著し立派な振る舞いをした人物として、賞賛したという(「歩騭伝」)。