「フォーミュラ・ドリーム」の版間の差分

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== 2005年まで ==
[[1999年]]から[[2005年]]までは、ホンダの主催により行われた[[自動車レース]]の一カテゴリー(いわゆる[[ジュニア・フォーミュラ]]の一つ)であった。
 
過去同シリーズからは[[井出有治]]、[[松浦孝亮]]、[[柳田真孝]]などが成績優秀者として上位カテゴリー([[フォーミュラ・ニッポン]]、[[SUPER GT]]など)で活躍している。
 
[[2004年]]より制度を一部改正し、シーズンに6~7回程度行われるレースへの個別参戦が認められるようになったほか、年齢制限を撤廃。これにより将来のステップアップを目指す若手ドライバーだけでなく、自分のドライビング技術を磨きたい中堅ドライバーなどの参戦が容易になった。
 
ただ[[2006年]]より、フォーミュラ・ニッポンを主催する日本レースプロモーションが新たなジュニア・フォーミュラ『[[フォーミュラチャレンジ・ジャパン]]』(FCJ)を立ち上げ、ホンダがFCJのシリーズ展開を支援することとなったため、フォーミュラ・ドリームは[[2005年]]シーズンを最後に7年間の活動を終了した。
 
=== 概要 ===
元々[[鈴鹿サーキット]]が運営しているレーシングスクール「[[SRS-F]](鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ)」の上位カテゴリーとして[[1999年]]に創立。「徹底したイコールコンディション」によるスキルアップと「参戦費用の安さ」を売り物にしている。そのため、
*レースに使用するマシンはシーズン中数回にわたる抽選により定期的に参加者の間で交換される。
*シーズン全体の参戦費用がメンテナンス費用や消耗品の費用なども含めてあらかじめパッケージ化されている。
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など、それまでのジュニア・フォーミュラで問題となりやすかった点を解決するための様々な試みや特徴がある。
 
シリーズチャンピオンに対しては[[全日本[[フォーミュラ3|F3]]選手権]]へのスカラシップが用意されているほか、成績優秀者には翌年度のフォーミュラ・ドリーム参戦費用を割り引くなどのサポートも行われた。また一レース毎の賞金もこの種のカテゴリーでは他に例のない高額(優勝で100万円)であった。
 
=== 使用マシン ===
[[童夢 (自動車会社)|童夢]]製のシャシーに[[M-TEC]]製の2.2リッター[[エンジン]]を搭載した[[ワンメイク]]。[[トランスミッション]]は柳川精機がFDの為に開発した前進5速後進1速のシーケンシャルシフト方式のものを、[[タイヤ]]は[[ブリヂストン]]がF3と同スペックのものを供給。2001年からはエンジンをオーバーレブさせた場合に、次にアクセルを全開にしたときに数秒間エンジン馬力を低下させる「ペナルティシステム」を導入している。これは単にレースを行うだけではなく、ドライバー育成を大きな目的としているためである。なお、使用されたマシンは[[1999年]]から[[2002年]]はFD-99、[[2003年]]から[[2005年]]はFD-03と時期によって違うが、性能は基本的に同一であるとされる。
 
== 2006年以降 ==