「ボストン交響楽団」の版間の差分

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[[セルゲイ・クーセヴィツキー]]を首席指揮者に迎えてから、今日の世界的な知名度が築かれ、[[ラジオ]]放送に定期的に出演し、夏季の活動拠点を州西部の[[バークシャー郡 (マサチューセッツ州)|バークシャー郡]]・[[タングルウッド]]に定め、[[タングルウッド音楽祭]]を開催するようになった。
 
[[1949年]]にはクーセヴィツキーの後任として[[シャルル・ミュンシュ]]が就任した。ミュンシュはその情熱的で豪快な音楽づくりで人気を博し、ボストン交響楽団はミュンシュの指揮によって[[RCA]]に大量の録音をおこない、世界的な名声を不動のものにした。ボストン交響楽団の初めて海外公演もミュンシュ時代のことであったし、その初来日公演もミュンシュの元で実現している。ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の代表的な録音には、[[ベルリオーズ]]の[[幻想交響曲]]、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]の交響曲第3番、[[ラヴェル]]の管弦楽曲集などがある。
 
ミュンシュの後任は、[[1962年]]より[[エーリヒ・ラインスドルフ]]が務め、[[1969年]]に[[ウィリアム・スタインバーグ]]に後を譲った。