「ドイツ系アメリカ人」の版間の差分

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森園千歳 (会話 | 投稿記録)
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[[第一次世界大戦]]においてアメリカが参戦するとドイツ系アメリカ人は苦境に立たされた。アメリカ赤十字社はドイツ系の姓の者の入社を禁止。スパイではないかと疑われたり、リンチに遭うこともあった。アメリカへの忠誠を誓うために国債を大量に購入することを強いられる者もいた。ドイツ系アメリカ人が多く住む町ではドイツ語の通り名などが廃止されたり、公共の場でのドイツ語使用が禁じられた。この流れは戦後も続いた<ref>Hickey, Donald R. (Summer 1969), "The Prager Affair: A Study in Wartime Hysteria", Journal of the Illinois State Historical Society: 126–127</ref>。この時期多くのドイツ系アメリカ人が名前を英語風に変更した(例えばSchmidtをSmith、MüllerをMillerなど)。これらのことによって多くのドイツ系アメリカ人の「アメリカ化」が進んだが、一方で自らのルーツを否定、母国との繋がりを断ち切らざるを得なくなった<ref>Hawgood, John (1970, 1940), The Tragedy of German-America, New York: Arno Press</ref>。
 
さらに、[[アドルフ・ヒトラー]]率いる[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭して、[[1933年]][[1月30日]]に[[ヒトラー内閣]]が発足すると、ドイツ国内およびドイツ語圏の諸国と[[東ヨーロッパ|東欧諸国]]で、過酷な迫害を受けた[[アシュケナジム|ユダヤ系ドイツ人]]のうちでナチスに捕獲される前に[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ収容所]]などの[[強制収容所]]行きを辛うじて免れた者の多くがアメリカに大量移民する事態となった。
 
[[1936年]][[4月]]に[[汎ゲルマン主義|ゲルマン]]・ドイツ系アメリカ人で、[[フォード・モーター|フォード]]社の技術者だった[[フリッツ・クーン]]らが、[[ニュージャージー州]]と[[ニューヨーク州]]を拠点とした[[右翼団体]][[共同体|コミュニティー]]「'''[[ドイツ系アメリカ人協会]]'''」を結成した。この団体は親ナチス・[[反ユダヤ主義]]を貫き通し、[[アシュケナジム|アシュケナジム・ユダヤ人]]団体や[[アメリカ共産党]]と対決する事変を起こした([[1941年]]に、この右翼団体コミュニティーは[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ政府]]によって解散させられ、[[1945年]]にクーンらは国外追放を命じられた)。