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国家宗主 (会話 | 投稿記録)
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{{出典の明記|date=2015年5月}}
'''北京議定書'''(ぺきんペキンぎていしょ)は、[[1901年]][[9月7日]]に[[北京市|北京]]で調印された、[[義和団の乱]]における列国と[[清|清国]]・[[義和団]]との戦闘の事後処理に関する最終[[議定書]]。[[日本]]の外交文書における正式名称は、'''北清事変に関する最終議定書'''である。また、[[中国]]ではその年をとって'''辛丑条約'''(しんちゅうじょうやく)、'''辛丑和約'''(しんちゅうわやく)ともいう。欧米では '''Boxer Protocol''' の呼び名が一般的である。
 
なお、[[1900年]]10月から始まった和議交渉から、その内容ごとに逐次列強国と清国間で協定を締結し、一部は既に施行されていた。本議定書はその条件履行の最終確認として、双方全権出席の下、調印されたものである。