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=== 楽天時代 ===
台湾球界5年間通算45勝31敗4セーブ、607奪三振の実績を引っ提げ、{{by|2006年}}に[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]入団。登録名を「L・インチェ」とする。当時の監督である[[野村克也]]が後に書いた著書「あ〜あ、楽天イーグルス」によると、トレードマネーとして楽天が誠泰に1億円を払って獲得したが、台湾プロ野球の投手に1億という高額の前例は野村の中では聞いたことがなく、野村はその時点で林の実力を疑問視しており、'''騙されているのではないかと当時の球団代表である米田に言及していた'''事を著書に書いている。背番号は'''91'''。本人は誠泰時代と同じ背番号'''19'''を希望していたが、監督に就任した野村が先に19をもらったため、この背番号になった。その後、2008年に背番号'''49'''に変更。
 
2006年3月26日、開幕2戦目の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦([[札幌ドーム]])で日本での初登板(先発)を果たすも、4失点で5回を持たずに降板という苦いデビュー戦となった(チームも敗れ、敗戦投手に)。1週間後の4月1日、対[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]戦([[宮城球場|フルスタ宮城]])で2度目の先発。8回を投げ、3安打無失点の好投を見せる。8回裏に先制点をもらい、勝利投手の権利を手にした状態で降板。リリーフ陣に後を託すも、そのリリーフ陣が打ち込まれ、チームは逆転負け。日本での初勝利はお預けとなった。その後は制球の悪さや肘の故障に悩まされ、5試合の登板で0勝2敗、防御率4.33という成績に終わる。一方で、3月に開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)]]の台湾代表として初戦(対[[大韓民国|韓国]]戦)に中継ぎ登板。