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Satokimu (会話 | 投稿記録)
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==概要==
ゴルディーニは[[イタリア]]生まれの'''アメデ・ゴルディーニ'''([[:en:Amédée Gordini|Amédée Gordini]]、[[1899年]] - [[1979年]])によって創業された。ゴルディーニは[[第一次世界大戦]]に従軍した後に[[フィアット]]車などのチューニングを手がけるようになり、モータースポーツ界で注目を集めるようになった。
 
そこに目を付けたのはフランスの自動車メーカー、[[シムカ (自動車メーカー)|シムカ]]であった。[[1930年]]にシムカと提携するとシムカ車をベースとするチューニングカーでレースに参戦し、[[ル・マン24時間レース]]でクラス3連覇を果たすなど成功を収め、ゴルディーニは「'''ル・ソルシエ'''」(Le Sorcier、魔術師)の異名が付けられた。
 
[[第二次世界大戦]]後の[[1950年]]から「シムカ・ゴルディーニ」の名称でF1に参戦。[[モーリス・トランティニアン]]や[[ジャン・ベーラ]]、[[タイ王国|タイ]]の王族である[[プリンス・ビラ]]などをドライバーに起用したが成績は振るわず[[1952年]]にシムカとの提携を解消。以降は「ゴルディーニ」として単独参戦を続けるが、資金難などで1勝もできないまま[[1956年]]にF1から撤退した。
 
その[[1956年]]からは新たなパートナーとしてルノーと提携し、まず[[ルノー・ドーフィン|ドーフィン]]をベースとしたチューニングカーを世に送り出す。続いて[[1964年]]、「[[ルノー・8|R8]]」のスポーツバージョンとして「R8 ゴルディーニ」を発表、同年の[[ツール・ド・コルス]]でデビューウィンを飾るなど活躍し、[[1966年]]には世界初の[[ワンメイクレース]]である「ゴルディーニ・カップ」を創設している。
 
なおゴルディーニ社は[[1969年]]にルノーに株式を売却し同社の一部門となり、ルノー車のエンジン開発などに携わった。その後も[[ルノー・12|R12]]等にゴルディーニの名を冠したモデルを設定している。[[1975年]]にゴルディーニ社はルノー本社を離れ、[[ルノー・スポール]](旧・[[アルピーヌ]])に経営統合された。
 
==その後==