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! 紋章
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'''エムデン'''('''Emden''')は[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]北西部の都市。[[ニーダーザクセン州]]に属しており、東[[フリースラント]]地方の主要都市。人口は51,710人(2005年)。
 
== 地勢・産業 ==
[[エムス川]]河口付近に位置する港湾都市。[[オランダ]]国境に近く、53°20′ N 07°12′ E に位置し、面積は112.4 km²である。ドルトムント・エムス運河を通じて[[ルール地方]]と結ばれており、貿易港として重要な役割を果たしているほか、自動車、造船業も盛んである。近隣の都市としては、約65キロ北東に[[ヴィルヘルムスハーフェン]]、45キロ南西にオランダの[[フローニンゲン]]が位置している。
 
== 歴史 ==
エムデンがいつできたのかは不明であるが、少なくとも8世紀には存在していたようである。古い名前はAmuthon、Embda、Emda、Embden。市の権利と紋章(Engelke up de Muer")は1405年[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]に認められた。
 
17世紀、[[八十年戦争]]の戦禍を逃れた大量の移民が訪れたことが街の繁栄につながった。[[カルヴァン派]]の中心都市の一つとなり、[[聖書]]の[[オランダ語]]への翻訳が最初に行われた。しかしながら、エムス川の流れが変わったため物流ルートが変わり、一時の繁栄は失われた。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]時代にはエムデン及び周辺地域は[[オランダ王国]]の一部となった。
 
1870年頃から製紙工場や造船所などの工業が始まった。19世紀末、ドルトムンド-エムズ (Dortmund-Ems) 運河が建設され、[[ルール地方]]と繋がった。これによりエムデンはルール地方の外港になり、1970年代まで続いた。運河を通して、南部からは石炭が運ばれ、ライン・ルール地方には鉄が運ばれた。1986年まで鉄の運搬船がエムデンに係留されていた。
 
1903年に[[ノルトゼーヴェルケ]]の造船所が建設され[[潜水艦]]や商船が建造されていたが、2009年に[[シャーフ工業]]に売却され、[[風力原動機]]の製造工場となる。
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[[第一次世界大戦]]ではこの都市の名を冠したドイツ海軍の軽巡洋艦[[エムデン (軽巡洋艦・初代)|エムデン]]が[[インド洋]]で[[通商破壊]]を行った。
 
[[第二次世界大戦]]で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の空襲によりほぼ全ての歴史的建造物を含め町は破壊されつくした。1944年9月6日に最も破壊的な爆撃を受け、街の80%ほどの家が破壊された。にもかかわらず、造船所は破壊を免れたため、英国の標的は市民だったのではないのかと疑われ、市民がナチスによる英国に対する報復を支持する引き金となった。
1944年9月6日に最も破壊的な爆撃を受け、街の80%程の家が破壊された。にもかかわらず、造船所は破壊を免れたため、英国の標的は市民だったのではないのかと疑われ、市民がナチスによる英国に対する報復を支持する引き金となった。
 
爆撃を受けたちょうど18年後の1962年9月6日に、街は再建された。
 
== スポーツ ==
[[キッカーズ・エムデン]]が、エムデンを本拠地とするサッカークラブチームである。
 
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*[[ヤーコプ・エムデン]] - [[アハローニーム]]
*[[フェリドーン・ツァンディ]] - サッカー選手
 
== ギャラリー ==
<gallery>
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* [http://www.emden.tk/ 市の公式サイト(ドイツ語)]
 
{{デフォルトソート:えむてん}}
[[Category:ドイツの主要都市|えむてん]]
[[Category:ニーダーザクセン州ドイツ行政区画|えむてん主要都市]]
[[Category:ニーダーザクセン州の行政区画]]
[[Category:オランダの歴史的地域]]
 
[[uz:Emden]]