「MiG-23 (航空機)」の版間の差分
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可変翼は、胴体中央にある固定翼部外側にビポット軸を取付けて、その外側にある外翼部がビポット軸を回転軸として回転することで後退角を変化させる仕組みとなっており、[[アメリカ合衆国]]の開発した[[F-111 (航空機)|F-111戦闘攻撃機]]([[戦闘爆撃機]]と呼ばれることもある)や[[F-14 (戦闘機)|F-14]][[戦闘機]]、[[ヨーロッパ]]で共同開発された[[トーネード IDS|トーネード]][[攻撃機]]など1960年代後半から[[1970年代]]前半の[[軍用機]]に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて[[揚力]]を大きくすることができるため、MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。
ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や[[高揚力装置|後縁フラップ]]を自動コントロールにして[[ドッグファイト|空中格闘戦]]能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型([[MiG-23M (航空機)|MiG-23M]]など)までは格闘戦能力の向上効果は無く、MiG-23の可変翼は、SPK-1システムを介して[[油圧]]により16-72度の範囲で後退角が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の中間位置に固定させるようになっていた。しかし後期型
機首に搭載するレーダーは、初期の機体には、[[MiG-21 (航空機)|MIG-21]]と同じ[[マイクロ波|Jバンド]]を使用するRP-22サフィール21(NATOコードネーム ジェイ・バード)火器管制レーダーを装備しており、最大捜索距離は29km、目標の最大追跡距離は19.3kmの性能を持ち、全天候迎撃能力は制限されたものであったが、その後の機体には、同じくJバンドのパルス・ドップラー・レーダーを使用した、サフィール23D-Sh(NATOコードネーム ハイラーク)を装備しており、最大捜索距離は80.4km、目標の最大追跡距離は56.3kmと大幅に性能が向上した。その後の発展型には、サフィール23ML(NATOコードネーム ハイラーク2)や[[ルックダウン能力|ルックダウン・シュートダウン能力]]を付与したサフィール23Pなどの能力向上型を装備している。
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前線[[戦闘機]]として開発された。
; [[MiG-23M (航空機)|MiG-23M]]('''{{lang|ru|МиГ-23М}}'''<small>ミーク23エーム</small>)
: [[ソビエト連邦|ソ連]]国内向け型。[[エンジン]]は[[ツマンスキー R-29|R-29B-300]]となり、主翼の可変翼の前縁付け根部には半円形の切り込みが付けられており、可変翼を後退させると[[ドッグトゥース (航空)|ドッグトゥース]]を形成して翼端失速を防いでいる。
;; [[MiG-23M(E) (航空機)|MiG-23M(E)]]('''{{lang|ru|МиГ-23М(Э)}}'''<small>ミーク23エメー</small>)
:: 輸出型。[[ワルシャワ条約機構]]外への輸出用で、機体能力は大幅にダウングレードされていた。サプフィール21レーダーを装備し、赤外線探知装置は装備しなかった。赤外線誘導型のR-23Tは運用可能であったものの、レーダー誘導型のR-23Rは運用できなかった。主として[[アラブ諸国]]で運用された。輸出は[[1973年]]より開始された。
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