「木原信敏」の版間の差分

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* 建物が木造時代だった東通工の新入社員第一号である。機械科卒業だが、ラジオが作れる、電蓄を組み立てたことがある等、履歴書にはおよそ機械とは直接関係の無い電気のことばかりを書いた。
* 部品買いのため神田の電気街では知られた顔だった。
* 10本の指の関節を「マムシ指」に曲げることができ、手先が器用だった。
* 通勤には役員駐車場をあてがわれ特別待遇を受けた。少しでも技術開発に時間を割いて欲しい井深の計らいであった。
* テレビ受像機を自作して、NHKの本放送開始前の試験放送を受信した。
* 通勤には役員駐車場をあてがわれ特別待遇を受けた。少しでも技術開発に時間を割いて欲しい井深の計らいであった。木原が思いついた試作品を作る為の職人が常勤した。
* 井深の案でスピーカーに使われるOPマグネットをすり潰して粉末にしテープに塗ったが、木原は磁性が強すぎるため失敗すると思い結果、ノイズしか出なかった。
* 井深のアイデアに機転を生かして、初めての磁性体塗布には狸の胸毛を使った。
* 磁性体を塗装屋が使うスプレーガンで紙テープに塗ったのはよいが、出来たばかりの新工場の床を真っ黒にしてしまい、拭いても取れず工場長に咎められた。
* 日本最初のテープ録音は木原の声で「本日は晴天なり」だった。
* モータが3つ必要だったテープレコーダーのリールメカをコストダウンする為に、モータ1つとスリップと特殊ギアの巧妙なメカを発明して、世界中で使われた。
* 揺れを打ち消しあうアンチローリングメカを開発し、テープレコーダーが歩きながら外で使えるようになるきっかけを作った。
* アメリカの録音テープの規格サイズを知らず、独自のテープ幅を作った。のちにアメリカのインチ規格を知ることになるが「そんないんちきは知らなかった」とつぶやいた。