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[[1920年代]]半ば、シカゴ大学経済学部において[[フランク・ナイト]]と[[ジェイコブ・ヴァイナー]]が教授に就任した。彼らは[[アルフレッド・マーシャル]]らの[[ケンブリッジ学派]]の体系と[[道徳哲学]]を受け継ぎ、シカゴ学派の基礎を構築した<ref name="iwanami2004" />。特にヴァイナーは、マーシャルが提唱した企業の[[費用曲線]]を精密化し、新古典派経済学の[[ミクロ経済学]]の分析手法を確立した<ref name="iwanami2004" />。ナイトは、[[計画経済]]を批判する一方で競争経済の論理的基盤に対しても等しく批判的であったし、ヴァイナーは[[リベラリスト]]として知られ、極端な言辞・政策に強い反発を示していた<ref name="inoki2004a" />。</br>その他に、「[[市場社会主義]]」を初めて提唱したことで知られる[[社会主義者]]の[[オスカル・ランゲ]]、「コブ=ダグラス型生産関数」の実証研究で知られる[[ポール・ダグラス]]、[[計量経済学会]]の創始者である[[ヘンリー・シュルツ]]、電話・鉄道の国有化を提唱したことで知られる[[ヘンリー・サイモンズ]]らが第一世代のシカゴ学派に数えられる<ref name="inoki2004a" /><ref name="Fonseca&ussher" />。
=== 第二世代 ===
[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけては、ナイト教授の門下生であった[[ジョージ・スティグラー]]([[1982年]]ノーベル賞受賞)と[[ミルトン・フリードマン]]([[1976年]]ノーベル賞受賞)を中心に「第二世代のシカゴ学派」が形成された。第二世代の特徴は、自らの仮説を統計データを基に検証し、有意な政策的結論を得ようとするものであり、数理経済学的手法よりも実証経済学的手法を重視する傾向が強かった([[実証主義]])<ref name="egashira2015">{{Harvnb|江頭|2015|pp=151-152}}</ref>。こうした実証的手法によって、スティグラーの[[産業組織論]]やフリードマンの[[マネタリズム]]が発展した。</br>なお、先験的手法を重視したことで知られる[[フリードリッヒ・ハイエク]]([[1974年]]ノーベル賞受賞)は当時シカゴ大学に在籍していたもの、経済学部ではなく「社会思想委員会」の所属であり、シカゴ学派とは一定の距離を置いていた<ref>{{Harvnb|江頭|2012}}</ref><ref group="注">ハイエクは[[経済計算論争]]において[[社会主義]]の不可能性を主張したが、その際の論敵であった社会主義者[[オスカル・ランゲ]]はシカゴ学派の陣営であった。</ref>。フリードマンは[[ケインズ経済学]]を実証主義の観点から高く評価していた一方で、自由主義者ハイエクの経済理論は検証不可能であるとして歯牙にもかけていなかった<ref name="egashira2015" />。
==== マネタリズム ====
{{See|マネタリスト}}
==== 競争政策におけるシカゴ学派 ====
[[1930年代]]から[[1950年代]]にかけて形成された「[[ハーバード学派]]」が厳しい独占規制を主張したのに対し、スティグラーを中心としたシカゴ学派は「[[規制の虜]]」と呼ばれる現象を明らかにし、消費者保護の観点から市場構造に重点を置いた政策を支持する主張をした<ref>{{Harvnb|依田|2013|pp=83-87}}。</ref>。スティグラーらの大企業による垂直的統合を容認する主張は、[[1980年代]]の[[規制緩和]]政策の基礎となったが<ref name="iwanami2004"/>、学界では[[1970年代]]以降、ゲーム理論や新制度派経済学の発展を背景に、「ハーバード学派」でも「シカゴ学派」でもない第三の潮流である「新産業組織論(New I.O.)」が普及し、今日の競争政策では、この「新産業組織論」と呼ばれるパラダイムが主流である<ref>この新産業組織論の基礎を作り上げた業績で[[ジャン・ティロール]]は[[2014年]]にノーベル賞を受賞した{{Harv|日本経済新聞|2014}}。</ref>。
{{See also|産業組織論#産業組織論の各分野}}
[[1930年代]]から[[1950年代]]にかけて形成された「[[ハーバード学派]]」が厳しい独占規制を主張したのに対し、スティグラーを中心としたシカゴ学派は「[[規制の虜]]」と呼ばれる現象を明らかにし、消費者保護の観点から市場構造に重点を置いた政策を支持する主張をした<ref>{{Harvnb|依田|2013|pp=83-87}}。</ref>。スティグラーらの大企業による垂直的統合を容認する主張は、[[1980年代]]の[[規制緩和]]政策の基礎となったが<ref name="iwanami2004"/>、学界では[[1970年代]]以降、ゲーム理論や新制度派経済学の発展を背景に、「ハーバード学派」でも「シカゴ学派」でもない第三の潮流である「新産業組織論(New I.O.)」が普及し、今日の競争政策では、この「新産業組織論」と呼ばれるパラダイムが主流である<ref group="注">この新産業組織論の基礎を作り上げた業績で[[ジャン・ティロール]]は[[2014年]]にノーベル賞を受賞した{{Harv|日本経済新聞|2014}}。</ref>。
 
=== 合理的期待形成学派 ===
[[1970年代]]以降、[[ロバート・ルーカス (経済学者)|ロバート・ルーカス]]([[1995年]]ノーベル賞受賞)、[[トーマス・サージェント]]([[2011年]]ノーベル賞受賞)、[[ロバート・バロー]]、[[ロバート・タウンゼント]]らを中心に、シカゴ学派は第二世代の実証主義から数学的に厳密な理論へと研究が一変した。ルーカスは[[1972年]]に発表した論文"Expectations and the Neutrality of Money"において、合理的期待の仮定の下ではケインズ的な財政・金融政策は短期的ですら効果をもたらさないことを厳密な数学的方法で証明した<ref name="ida2013">{{Harvnb|依田|2013|p=76-79}}。</ref>。バローが[[1974年]]に発表した[[リカードの等価定理|リカード=バローの定理]]もこの合理的期待形成仮説を発展させたものである<ref name="ida2013 />。</br>さらに、「政府の政策が裁量的に変われば,経済主体の期待が変わるので,[[計量経済学|計量経済モデル]]の方程式のパラメーターが変化してしまう。それゆえ,[[ローレンス・クライン|クライン]]たちが完成させたマクロ計量経済学モデルは,予想妥当性を持たない。」と要約される「[[ルーカス批判]]」によって、ミクロ経済学的基礎付けのない当時の[[新古典派経済学|新古典派]]や[[ケインズ経済学|ケインズ派]]のマクロ経済研究の意義が無くなり、[[リアルビジネスサイクル理論]]を通じて[[新しい古典派]]や[[ニュー・ケインジアン|新ケインズ派]]といった今日の主流派マクロ経済学が誕生する契機となった<ref name="ida2013" />。彼らはケインズ経済学だけでなく1960年代のシカゴ学派(の一部の経済学者)が支持したマネタリズムをも徹底的に批判したため([[リアルビジネスサイクル理論|実物的景気循環理論]])、前時代のシカゴ学派と区別するために、彼らを「ミネソタ学派」と呼ぶ場合もある<ref>{{Harvnb|日本経済新聞|2011}}。</ref>。
=== 新制度派 ===
[[ロナルド・コース]]([[1991年]]ノーベル賞受賞)は論文「企業の本質」([[1937年]])において、従来の[[新古典派経済学]]が見落としていた[[取引費用]]概念を発見し、この発見により、なぜ経済システムには市場だけでなく企業や法制度が不可欠なのかを分析できるようになった。こうしたアプローチは「新制度派経済学」と呼ばれ、今日では「内部組織の経済学」、「非市場組織の経済理論」、「契約の経済学」などに引き継がれ、新分野の発展と展開を促している<ref name="coase1992">{{Harvnb|コース|1992|pp=243-254}}。</ref>。また、コースの論文「社会的費用の問題」([[1961年]])は、法学者[[グイド・カラブレイジ]]の「危険分配と不法行為法に関する若干の考察」(同じく1961年)と並んで、[[法と経済学]]と呼ばれる分野の起源とみなされている{{Sfn|小林|1986}}。コースはシカゴ大学教授に就任した[[1964年]]に「法と経済学」初の専門学術誌『ジャーナル・オブ・ロー・アンド・エコノミックス』の編集長となり、法と経済学の普及と発展に尽力した<ref name="coase1992"/>。
{{See also|新制度派経済学|法と経済学}}
[[ロナルド・コース]]([[1991年]]ノーベル賞受賞)は論文「企業の本質」([[1937年]])において、従来の[[新古典派経済学]]が見落としていた[[取引費用]]概念を発見し、この発見により、なぜ経済システムには市場だけでなく企業や法制度が不可欠なのかを分析できるようになった。こうしたアプローチは「新制度派経済学」と呼ばれ、今日では「内部組織の経済学」、「非市場組織の経済理論」、「契約の経済学」などに引き継がれ、新分野の発展と展開を促している<ref name="coase1992">{{Harvnb|コース|1992|pp=243-254}}。</ref>。また、コースの論文「社会的費用の問題」([[1961年]])は、法学者[[グイド・カラブレイジ]]の「危険分配と不法行為法に関する若干の考察」(同じく1961年)と並んで、[[法と経済学]]と呼ばれる分野の起源とみなされている{{Sfn|小林|1986}}。コースはシカゴ大学教授に就任した[[1964年]]に「法と経済学」初の専門学術誌『ジャーナル・オブ・ロー・アンド・エコノミックス』の編集長となり、法と経済学の普及と発展に尽力した<ref name="coase1992"/>。
 
=== 新経済史学派 ===
{{See alsoMain|数量経済史}}
[[経済史]]の分野では、シカゴ大学教授の[[ロバート・フォーゲル]]を中心に[[ミクロ経済学]]や[[計量経済学]]の手法を社会経済史研究に応用する「[[数量経済史]](クリオメトリクス)」と呼ばれる分野を創始した。こうした業績により、フォーゲル教授は、[[ダグラス・ノース]]とともに、[[1993年]]に[[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞|ノーベル経済学賞]]を受賞した{{Sfn|日本経済新聞|1993}}。
 
{{See also|数量経済史}}
=== 公共選択学派 ===
[[財政学]]の分野では、[[1960年代]]頃から、シカゴ学派は[[ヴァージニア学派]]と呼ばれる財政学者グループと合流し、[[ジェームズ・ブキャナン]]([[1986年]]ノーベル賞受賞)を中心に「シカゴ=ヴァージニア学派」と呼ばれる研究グループを形成した<ref name=iwanami2004 />。彼らは、[[政治家]]や[[官僚]]が恣意的に[[公共事業]]を行うことが出来る「裁量的財政政策」を批判し、政治権力者の行動を制限するルールの必要性を主張した。このような[[議会制]]や[[官僚制]]のもとでの財政に関する政治的決定プロセスを[[ミクロ経済学]]的枠組みで分析するシカゴ=ヴァージニア学派の理論体系は[[公共選択理論]]と呼ばれるため、彼らは一般には「公共選択学派」と呼ばれる<ref>『[[大辞林]]第三版』(三省堂)のそれぞれの項を参照。</ref>。[[1980年代]]後半からは[[非協力ゲーム理論]]の新しい分析手法が取り入れられたことによりめざましい学術的成果を生み出し、公共選択理論は現実の政策形成に一定の説明力を発揮した。こうした背景から、今日ではこうした一連の研究が「新政治経済学(new political economy)」などと呼ばれることも多い{{Sfn|小西|2009|pp=3-4}}。
{{See also|公共選択理論}}
[[財政学]]の分野では、[[1960年代]]頃から、シカゴ学派は[[ヴァージニア学派]]と呼ばれる財政学者グループと合流し、[[ジェームズ・ブキャナン]]([[1986年]]ノーベル賞受賞)を中心に「シカゴ=ヴァージニア学派」と呼ばれる研究グループを形成した<ref name=iwanami2004 />。彼らは、[[政治家]]や[[官僚]]が恣意的に[[公共事業]]を行うことが出来る「裁量的財政政策」を批判し、政治権力者の行動を制限するルールの必要性を主張した。このような[[議会制]]や[[官僚制]]のもとでの財政に関する政治的決定プロセスを[[ミクロ経済学]]的枠組みで分析するシカゴ=ヴァージニア学派の理論体系は[[公共選択理論]]と呼ばれるため、彼らは一般には「公共選択学派」と呼ばれる<ref>『[[大辞林]]第三版』(三省堂)のそれぞれの項を参照。</ref>。[[1980年代]]後半からは[[非協力ゲーム理論]]の新しい分析手法が取り入れられたことによりめざましい学術的成果を生み出し、公共選択理論は現実の政策形成に一定の説明力を発揮した。こうした背景から、今日ではこうした一連の研究が「新政治経済学(new political economy)」などと呼ばれることも多い{{Sfn|小西|2009|pp=3-4}}。
 
==評価==
===ノーベル経済学賞受賞について===
シカゴ学派は長年に渡り学界の動向を牽引しており、多くの[[ノーベル経済学賞]]受賞者を輩出した<ref group="注">{{Harvnb|依田|2013}}は、1つの指標として歴代受賞者の博士号取得大学を挙げている。すなわち、2012年度現在までの受賞者の内、シカゴ大学で博士号を取得した者は7名であり、これは[[ハーバード大学]](10名)、[[マサチューセッツ工科大学]](9名)に次ぐ第3位であった(p.212)。</ref>。このようにシカゴ学派の経済学者が多くノーベル賞を受賞している理由として、[[清水啓典]]([[一橋大学]]教授)は、シカゴ大学設立以来の伝統である「基礎研究を重んじる学風」を指摘しており、「資金も潤沢、給料も全米トップクラスであるおかげで世界中から優秀な研究者が集まること、雑務が極端に少なく講義さえやれば、何をしていても文句は言われない」など「研究時間が十分持てるよう大学が配慮」していることを挙げている<ref name="nikkei1995">{{Harvnb|日本経済新聞|1995}}。</ref>。また、[[鬼塚雄丞]]([[東京大学]]教授)は、「地理上の要因も大きい。ノーベル賞はほとんどの場合基礎研究に与えられるが、ハーバードなどワシントンに近い東部の大学の経済学者は政府機関などのアドバイザーになりやすく、純粋な理論研究より現実の政策に関心が向かいがちだ。一方、中西部のシカゴでは時事問題に煩わされないで、基礎研究に没頭できる」と述べている<ref name="nikkei1995"/>。[[依田高典]]([[京都大学]]教授)は、スティグラー、ベッカー、ルーカスのような「生え抜き組」とフリードマン、コースのような「外様組」の「絶妙なミックス」がシカゴ大学の強さを支えていると述べている{{Sfn|依田|2013|p=213}}。<br/>一方、[[トーマス・カリアー]] ([[バード・カレッジ]]研究員) のように、ノーベル賞選考委員が[[市場主義|自由市場主義]]に偏向していたため、自由市場主義的思想を持つ経済学者のみを採用していたシカゴ大学経済学部の学者が不当にノーベル賞を受賞した、と主張する論者もいる{{Sfn|カリアー|2012b|p=264}}。ただし、カリアーが例としてその名を挙げた[[ロナルド・コース]]、[[ゲーリー・ベッカー]]は、選考委員会の公式発表ではそれぞれの受賞理由として「(新古典派が見落としていた)取引費用や財産権の発見」、「市場以外の領域にまでミクロ経済学の分析対象を拡げたこと」とされている<ref>[http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/1991/press.html The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 1991].</ref><ref>[http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/1993/press.html The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 1992].</ref>。また、第13代[[理論・計量経済学会]]会長や第9代[[一橋大学]]学長を務めた[[宮沢健一]]そのような、コースが「[[外部性#コースの定理|コースの定理]]」において自由放任主義的な主張をしたとする解釈を「大きな誤解」と批判している<ref>{{Harvnb|コース|1992}}の「訳者あとがきと略解」を参照(243-252頁)。</ref>。また、[[猪木武徳]] ([[大阪大学]]教授) はベッカーを「保守的なシカゴ学派の旗頭」とする論者に対し、「シカゴ大学に対して保守派の牙城というレッテルを張ることは少し単純にすぎる(中略)つまり同じ大学で議論し、教えたからといって、意見や思想が同じになるとは限らない。思想や学問を安易に分類し、系譜化し、その内容について全く陰影のない理解しか示さない人が時々いるが、虚心坦懐に理論や学説を知るという姿勢は常に必要である。」と指摘している<ref name="inoki2004a" />。
 
== 注釈 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references group="注" />
 
==脚注 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Reflist|3}}
 
== 参考文献 ==