「ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド」の版間の差分
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== 生涯 ==
[[ファイル:Pauline Viardot-Garcia 2.jpg|left|thumb]]
[[スペイン|スペイン人]]の著名な[[オペラ]]歌手の家庭に生まれ、若い頃は、美貌の姉[[マリア・マリブラン]]の陰に隠れがちであったが、父
[[1837年]]に16歳で、[[ブリュッセル]]で最初の演奏会を行い、[[1839年]]には[[ロンドン]]で、[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]の歌劇《オテロ》でデズデモナ役によりオペラ界デビューを果たす。結果的にこの公演は驚異的な成功であった。欠点はあるにせよ、驚くほどの情熱が、極上の技巧と結びついていたからである。
[[ファイル:Pauline Viardot-Garcia 3.jpg|thumb]]
[[1840年]]に、作家でパリ・イタリア劇場の監督ルイ・ヴィアルドと結婚。夫のマネジメントに支えられて音楽活動を続けることになる。21歳年上の相手に嫁いだものの、結婚生活によって彼女にのぼせ上がった男性の影が消えることはなかった。中でもロシアの[[作家]]、[[イワン・ツルゲーネフ]]は、[[1843年]]に《[[セビリアの理髪師]]》のロシア公演でポーリーヌ・ヴィアルドの出演に接してから、彼女に恋焦がれた貴族の一人であった。[[1845年]]には彼女を追ってロシアを去り、とうとう[[執事]]さながらヴィアルド家に上がり込み、ヴィアルド夫妻の4人の子供をわが子同然に可愛がりつつ、亡くなるまでポーリーヌの崇拝者であり続けた。彼女はその見返りに、ツルゲーネフの作品を批評し、自分のコネや手練手管を用いてツルゲーネフが陽の目を見ることができるようにした。ツルゲーネフ以外のポーリーヌの崇拝者に、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]や[[シャルル・グノー|グノー]]が知られている。
恵まれた広い声域と、劇的な役柄をこなせる演技力によって、[[ジャコモ・マイアベーア|マイアベーア]]やベルリオーズ、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]らに霊感を与えた。マイ
作曲家を自認することはなかったが、それでもかなりの数の作品を遺しており、後にオペラ界から引退してからは、歌劇《最後の魔法使い ''Le dernier sorcier'' 》を作曲している。ポーリーヌ・ヴィアルドは語学力にも恵まれ、[[スペイン語]]や[[イタリア語]]、[[フランス語]]のほかに、[[英語]]や[[ドイツ語]]、[[ロシア語]]も流暢に操り、さまざまな言語で声楽曲を創作した。ショパンの[[マズルカ]]を歌曲に編曲したものや、[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]の[[アリア]]をピアノ伴奏用に書き換えたものも遺している。
ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドは、音楽活動を通じてヨーロッパ各地の演奏会場を訪れ、[[1843年]]から[[1846年]]まで絶え間なくペテルブルク歌劇場に客演している。彼女の人気は、[[ジョルジュ・サンド]]をして小説『コンスエロ』([[1843年]])のヒロインを着想せしめたほどであった。
ガルシア=ヴィアルドの論評として著名なものは、[[イギリス]]の[[ソプラノ]]歌手
[[1863年]]に舞台から引退。夫ルイが[[ナポレオン3世]]に反対する立場を公にしたため、ヴィアルド家はフランスを捨て、[[ドイツ]]の[[バーデン=バーデン]]に[[亡命]]した。ナポレオン3世が失脚するとフランスに戻り、ルイ・ヴィアルドに[[1883年]]に先立たれるまでの間、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]で教鞭を執りつつ、サン=ジェルマン大通りの自宅で音楽[[サロン]]を主宰した。
[[ファイル:Pauline Viardot Denkmal Baden Baden fcm.jpg|thumb|バーデン=バーデンの湯治場にあるポーリーヌ・ヴィアルドの胸像]]
1910年に愛する家族に看守られつつ息を引き取り、[[モンマルトル墓地]]に埋葬された。
パリ近郊[[ブージヴァル]]のヴィアルド邸(Villa Viardot)は、ツルゲーネフからヴィアルド家への([[1874年]]の)贈り物であり、多くの音楽家や画家、詩人が訪れた。[[2001年]]より、ジョルジュ・ビゼー協会や「文化遺産と都市計画 Patrimoine et Urbanisme」の働きかけにより、修復作業に入っている。ポルトガルのバリトン歌手
== 外見 ==
[[ファイル:Pauline Viardot-Garcia 1.jpg|thumb|left]]
ポーリーヌ
それでもなお、ポーリーヌ
ポーリーヌ
==外部リンク==
*[http://oasis.lib.harvard.edu/oasis/deliver/~hou00141 Pauline Viardot-Garcia papers] - guide to the musician's personal papers and scores in the Houghton Library at Harvard University.
*{{IMSLP|id=Viardot, Pauline}}▼
*[http://www.harmonicorde.com/Pauline%20ViardotGarcia.html# Pauline Viardot-Garcia (includes reviews of early concerts by Alfred de Musset and George Sand)]
▲*{{IMSLP|id=Viardot, Pauline}}
{{commons|Pauline Viardot}}
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