「ルートヴィヒ・ユンガーマン」の版間の差分

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==生涯==
[[ライプツィヒ]]に生まれた。父親のCaspar Jungermann (1531年-1606年)はライプツィヒの[[法学]]の[[教授]]であった。母親は[[人文学]]者、ヨアヒム・カメラリウス(父:Joachim Camerarius des Älteren :1500年-1574年)の娘であった。[[ニュルンベルク]]で1614年から1625年の間、[[医学]]を学び、[[ユストゥス・リービッヒ大学ギーセン|ギーセン大学]]の[[解剖学]]、[[植物学]]の教授に任じられた。ギーセン大学では、薬草園を作り、この[[ギーセン[[植物園]]は設立するされた場所に現存するドイツ最古の植物園であるとしては最っとも古い。1625年にアルトドルフ大学の解剖学と植物学の教授となり、[[アルトドルフ]]にも植物園を作った。著書には"''Cornucopiae Florae Giessensis''"や"''Catalogus herbarum circa Giessam''"などがある。
 
[[バシリウス・ベスラー]]の『アイヒシュテット庭園植物誌』の共著者としても知られる。